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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
せっかくなので尾崎紅葉の話を少し書かせていただこう。 紅葉は明治時代、学生作家 のハシリである、その紅葉が金色夜叉で絶頂の頃に、胃癌に倒れたのだ。 そのときに 医者が漏らした言葉が上のものである。 紅葉は酒の力をかりて、日記帳に次のように 書き記す、「ああ、予は死の宣告を受けたのではあるまい乎!」これは病骨録と呼ばれ 現在の闘病録のハシリであろう。 彼の頭の中に、小説「多情多恨」を褒めてくれた漢 学者・依田学海が浮かび、「73歳の依田先生は、今なお矍鑠として、37の己は病床 に残喘を保って居る」と書き、苦しみぬく。 結局彼は、「長生必ずしも多福ならず、 夭折必ずしも薄幸ならず」と、慰めの気持ちを書き付けた。そして、「生」と「死」は ふたつでセットの「親密な朋友」であり、「同胞」であるという死生観に達する。 「生は、朝の鳥が気持ちよくさえずるようなものであり、死は夕方、晩鐘が鳴るような ものである」、朝が来れば必ず夕が来る、この当たり前のことを受け入れるには理論で はわかるが、感情的には非常に難しい。 数え37歳、満35歳で逝去した尾崎紅葉の辞世の句に、素晴らしいものがある。 夏の露だったら数時間で消えてしまうだろうが、秋の露だったら、かなり長い時間留まっ ていられる、紅葉は数え37歳まで生きられた、素晴らしい作品も残すことが出来た、 面白い人生を体験することも出来た。 正岡子規の「糸瓜(へちま)」の絶筆にも通ずる 洒落な辞世である。 宿題に悩まされる頃じゃない? 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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