|
カテゴリ:歴史・戦史
帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。』 ” 日米交渉決裂、11月26日単冠湾を出た機動部隊は一路ハワイへ昭和16年12月2日、 攻撃決定「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」の暗号電を受け取る。 ハワイ時間12月7日日曜日午前7時49分、日本時間8日午前3時19分。 日本海軍機動 部隊の航空母艦から発進した183機の日本海軍機は、淵田機から打電されたト・ト・ トのト連送の攻撃命令により真珠湾を攻撃、その後、「奇襲成功、トラ・トラ・ト ラ!」(トラ連送)を旗艦赤城に打電。 オアフ島の真珠湾に停泊していた米太平洋 艦隊を攻撃、第一次攻撃隊は損害9機で反撃はほとんどなかったが、第二次攻撃隊は 損害機20機と第二波を予想した米軍に反抗されている、しかし、この作戦は戦術面で は大成功といえるだろう。 この戦争は開戦2日目に「大東亜戦争」と命名され、12月10日には東京後楽園球場に おいて東京の新聞社、通信社計8社が主催する「米英撃滅国民大会」が開かれ、もはや 後戻りできない大きな歴史の歯車のスピードは加速度的に増していくのだった。 米国は8隻の被害戦艦のうち6隻を復旧させ、その後の戦闘に復帰させている、もし 真珠湾の底が深かったら、この戦艦は引き揚げることができず、再就航はできなかった かもしれない。 日本軍の真珠湾攻撃、米海軍大損害は世界を駆け巡る大ニュースであった、日本国民 は歓喜の万歳でこのニュースを聞き、アジア諸国は大国米国に喧嘩をうった日本に白人 至上主義からの脱却を夢見た・・・しかし汚点がひとつあった、それは宣戦布告の遅れ である、これにより、米国民は卑怯者ジャップ「リメンバー・パールハーバー」の合言 葉でまとまり反戦ムードが一気に変化、米海軍・陸軍ともに志願兵が殺到する事態まで 戦意高揚していく。 さらに、このニュースを聞いて、狂喜の雄叫びをあげる白人がひとりソファーに座っ ていた、米国の参戦を心待ちにしていたウィンストン・レナード・スペンサー=チャー チル、その人である。 英国首相チャーチルはドイツに押され気味な欧州戦線を打開す べく米国に再三、戦争参加のラブメッセージを送っていたが、ルーズベルトは米国民の 反戦ムードを慮り首を縦に振らなかった。 しかし、ここにおいて米国は欧州戦線に乗 り出すことになるのである・・・ 瞬時に沈没したアメリカ戦艦アリゾナは、1962年に船体に記念館が設けられ、今では 真珠湾の観光名所となっている、訪れた方も多いのではないだろうか。(乗員1178人死亡) *新高山(ニイタカヤマ)は当時大日本帝国であった台湾に存在する山。標高は3952メー トルで、当時の日本最高峰の山である。 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[歴史・戦史] カテゴリの最新記事
|