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カテゴリ:歴史・戦史
良い子は寝る時間でありまして、もう眠い眠い慶次であります。 今回は昨日の関連
として「宣戦布告」について少し簡潔に(いや眠いからではないですが・・・)書い ておきます。 ではまず宣戦布告について書かれてあるハーグ条約を引き出しておきましょう。
第一条では最後通牒による明快な通告、つまりあんたの国と戦争しますよ、もう話し合いは ここまで!ということを伝えることにより第一撃の不意打ちを禁じたものといえます。 これにより当該国家は戦争準備に入り交戦状態に入っていくわけです、ただ宣戦布告をどう 捉えるかは微妙で、ハルノートを最後通牒、宣戦布告と考える人たちもいたりするのは明確 な規定がはっきりしないことが問題かもしれません。 第二条は戦争状態に入ったことによる中立国への中立状態保持に関してです。 宣戦布告が 無くても大規模紛争に入れば基本的には戦争状態とみなされます。例えば日本と中国がぶつ かったのは「シナ事変」という名称で呼ばれていました。これによりアメリカは中国への軍 装備輸出を行えました、逆に日本もアメリカから石油をはじめとする物資を輸入できました。 日中戦争であったなら、アメリカの行為は違反となります。 先にも書きましたが、「大東亜戦争」という呼称は真珠湾攻撃以後命名されました。 ここ に至り日本もシナ事変から始まった一連の紛争を戦争と認めたことになります。 本来「宣戦布告」は不意打ちを禁じ、中立国への中立義務を命じるものでありますから、 布告と同時に攻撃をすることは違反とみなされるかもしれません。 ただ宣戦布告をし なくても戦争に勝ってしまえば非難は受けるでしょうが、勝ちは勝ち。 それが戦時国 際法という曖昧な法だったりします。 日本がアメリカに勝っていれば、真珠湾攻撃は 正当なこととして史実に書かれていたかもしれませんね。 *日本政府は随分、宣戦布告の遅れを外務省の不手際と公表していませんでしたが 1994年11月20日、「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開し、 公式見解として、大使館書記官の不手際により、宣戦布告が遅れたことを認めました。 (外交史料館報 第8号 閲覧可能) 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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