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2006年12月26日
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カテゴリ:歴史・戦史
”「海上ニ浮遊スル敵兵ヲ救助スベシ」”



昨年の今頃は、日本とポーランドの美談をここで紹介した。 思い出したように今年も

ひとつ、掲載させていただく。


「鬼畜米英」、「JAP」、戦争中はとにかく交戦国を憎む状況を作り出すだめに様々な

宣伝工作がなされる。 洗脳とでもいうべきか、会ってもいない人々を平気で憎める

ようになっていくのだ。 それを壊すのは実体験以外にはないのかもしれない。

そこで二回に渡り、大東亜戦争中に行われた大日本帝国海軍・駆逐艦「雷」の敵兵救助

の話を掲載する。 黙して語らず、サイレント・ネービー工藤艦長が親族にも話さなか

ったこの美談、わかったのは救助を受けた元英国兵士の告白からだった。



1998年4月、英国では翌月に予定されている天皇の英国訪問への反対運動が起きて

いた。その中心となっていたのは、かつて日本軍の捕虜となった退役軍人たちで、捕虜

として受けた処遇への恨みが原因であった。 その最中、元海軍中尉サムエル・フォー

ル卿がタイムズ紙に一文を投稿した。「元日本軍の捕虜として、私は旧敵となぜ和解す

ることに関心を抱いているのか、説明申し上げたい」と前置きして、自身の体験を語っ

た。 大東亜戦争が始まってまもなくの昭和17年2月27日、ジャワ島北方のスラバ

ヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合部隊の海戦が始まった。 連合部隊の15隻中11隻は

撃沈され、4隻は逃走した。 3月1日にスラバヤ沖で撃沈された英海軍の巡洋艦「エ

クゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員4百数十名は漂流を続けていたが、翌

2日、生存の限界に達した所を日本海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」に発見された。

「エンカウンター」の砲術士官だったフォール卿は、「日本人は非情」という先入観を

持っていたため、機銃掃射を受けて最期を迎えるものと覚悟した。

ところが、駆逐艦「雷」は即座に「救助活動中」の国際信号旗を掲げ、漂流者全員42

2名を救助したのである。 艦長・工藤俊作中佐は、英国海軍士官全員を前甲板に集め、

英語で健闘を称え「本日、貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」

とスピーチしたのだった。 そして兵員も含め、全員に友軍以上の丁重な処遇を施した。

このフォール卿の投稿によって、以後の日本批判の投書はことごとく精彩を欠くことに

なった。



次回につづく




 外交官となったフォール卿は、戦後、定年退職後、平成8年に自伝『マイ・ラッキー・
ライフ』を上梓し、その巻頭に「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と記しています。
残念ながら、楽天には置いていないようですね・・・もっと広めて欲しいものです。

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最終更新日  2006年12月26日 11時50分43秒
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