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カテゴリ:事件・災害
慶次のブログを時々でも覗いてくださる方々なら、なにか気づいているのでは ないでしょうか? 時事事件社会問題があまりにも掲載されていない! 実は、もう取り上げたくないのですよ、悲惨な事件は人間の興味を引き起こす アクセス数は上昇、TBも上昇しますが、だからなんだと・・・もうね、メディア で見るだけでおなかいっぱいです、ネットを開いて同じ話題がズラズラ並んでい ると、それだけでポチッとスイッチオフを押してしまうのです。 バラバラ事件、放火、母子心中見せ掛け事件・・・まだ一月ですよ。 すいません、ちょっと愚痴ってしまいますた。 では今日の本題、「子供の叫び」を書いてみます。 お食事中の方はここから読み飛ばしたほうが良いと思います。 最近まで慶次が 母親にからかわれた事件がありまして、2~3歳くらいの頃、ベランダでうんちを し、それを新聞紙にくるんで戸棚に入れていたそうです。 慶次には記憶が無い! 当然ですが、これは「ベランダでうんち=悪いことをした」と認識しているから それを隠そうと隠ぺい工作をはじめたわけです、すぐにばれそうなお粗末な工作で す。 いまでは笑い話ですが、おそらく実父母は、「このクソガキ」と思ったこと でしょう、ここで問題なのですが、慶次はトイレに行って用を済まさなければなら ないと教えてもらっていたから「悪さ」を隠蔽したのでしょうか、それとも、人間 が持つなにか嫌な雰囲気を感じ取る本能が「隠蔽しなくては」と行動に走らせたの でしょうか。 子供は親の顔色を伺います、急に箸を放り投げたとします、当然ですが親に怒ら れますよね、最初は注意程度でしょうから、また同じことをします。 これは気を 惹こうとしているのです、何回か続けると、親は無視するか雷を落とすかどちらか のアクションを起こします、雷が落ちれば怖くて「悪さ」をやめます、でも次の悪 さでまた気を惹こうとします。 理由は簡単です、相手にして欲しいからです。 つまり悪いことをしていると知っているのです、これは重要です。 では「無視」したらどうでしょうか、子供はいじけます、しばらくは強がってい ても、親の顔色を見ながら甘えます、服を引っ張ったり抱っこを要求したり、泣く 子もいるでしょう。 子供にとっては、「親の無視」ほど怖いものはないのです。 ただし、あまりにも過剰な干渉は子供を別の道に走らせます、過保護という行為は 社会への適応力を弱め、リアルな世界からバーチャルな世界へ逃げ込む子供を増や します。 子供を蹴ったり殴ったりする親がいます、タバコを押し付けたり、壁にたたきつ けたりする親が実際に存在します。 子供は、「痛い」と泣き叫びますよ当然です でもね一抹の期待を持って明日を向かえようと我慢するのです、明日は優しい母に 戻っているのでは?って、数%のわずかな可能性にかけて我慢するのです。 蹴られたら痛いです、我慢するにしても限度がありますよ、そこで痛みを感じな くする方法を模索します、そう、多重人格障害です。 いま蹴られたり投げられたりしている自分は自分ではない、そうやって思い込む ことで自分の中にもうひとつの人格を作り出し、その別人格に痛みを背負ってもら うのです。 もうここまでいくと、親の虐待が止まったとしても本来の自分らしさ を取り戻すことは難しくなります。 以前、「てぶくろをかいに」の回で子供はシンプルで鋭い言葉を発すると書きま したが、子供を虐待死させた親の供述を読み、子供たちの声を拾ってみると、とて もシンプルだとわかります。 「お母さん、なんでたたくの?」 「ぼくのこと、嫌いなんやろか」 「もうしませんから許して、熱い、もうしません」 「いい子になるから、蹴らないで」 子供が悪いことをしたら叱ってください、あまりにもひどいことなら叩いてもいい でしょう、しかしながら子供が叫ぶ、「なぜぶつの?」という疑問に対し、ほとんど の虐待した親たちはこう答えています。 子供のシンプルな質問にシンプルに答えてみましょう、一呼吸して自分に理はある のか、自分の身勝手で子供を叩いていないかを。 *当然ですが、慶次がうんちを隠したのは隠ぺい工作であり、決して気を惹こうと したわけではありません、なぜなら二度としなかったそうですから、慶次も反 省したのでしょう、うちは厳しかったですから(笑) 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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