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テーマ:ニュース(99892)
カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
この話、昨日テレビでも放映されていたが、神社側は「敷地から飛び出した枝を 伐ってもよい」と言ったそうで、それがどこでどう伝わったのか業者側にとって邪 魔とされる木々をすべて伐採してしまったということのようだ。 慶次には、この記事を読んで腑に落ちない点がいくつかある、まず市の保存樹木 2本は、神社側云々ではなく、市と業者の問題に発展するのではないか? さらにもう一点、伐採した神木のことだが、これを伐ってしまったのは仕方がな い、この業者が精霊の怒りを甘んじて受けるしかない(命を落とそうが知ったこと ではない)、それよりも一方の神社側が神社にふさわしい高樹齢の木を持ってこい という主張は理解できない・・・。 「日本の習俗vol.5杜とカミ」で書いたが、四季の移り変わりによる落葉から新葉へ の変遷、そして樹木そのものの生死こそが杜が生きている証であり、これこそが神 道に眠る「蘇り」の信仰の重要部分ではないのだろうか。 伐られたものは仕方がない、他から持ってきて体面を保つようなことをする前に 今すぐにでも、新たな苗木を植えるべきである。神社は永遠なる聖地、神官が死ん でも神社は続く。100年後には立派な神木が育つことであろう。 その上で、この業者には会社が続く限り神社に対する協力をしてもらうことが謝 罪につながると思う慶次であった。 そういえば地球環境に警鐘を鳴らしている米国元副大統領アル・ゴアが来日して いたようだが、彼に日本の鎮守の森文化を誰か話してくれただろうか。 検見川神社公式ホームページ 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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