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「もし世界が100人の村だったら」というフジテレビ系列の番組が存在する。
一例では、ガーナの幼き兄弟がカカオの実を取る仕事をしていても、彼らは それがチョコレートになって売られていることは知らない。学校に行くこと もなく、このカカオの仕事を死ぬまで続けていくしかない・・・。 番組からは離れ、北朝鮮が自由取材が出来たなら、このような番組の格好の 材料となる適材国のひとつとなろう。イスラエルの銃を背中に抱える少女も 一人っ子政策のために戸籍すら存在せずに生きているか死んでいるかもわか らない中国の子供たちだって存在する。 果たして、このような番組はなんのために存在するのか、また、このような 番組を見て、私たちはどうすればいいのだろうか。 慶次にはひとつだけ確実に言えることがある、番組を見ながら、決して「あ の人たちと比べれば・・・」などと考えないことだ。また子供にも洩らさな いことだ。 慶次がインドに行ったとき、片方の手首から先が無い子供がニューデリーの あちこちにいた。彼らは親に手首から先を落とされたのだ。 なぜかって? 恵んでもらうためにだ、街行く人々がかわいそうにと何かを恵んでくれると いう心理を利用するために親はこのようなことをするのだ。 ロシアでのこと、空港に向かって歩いていると何人かの少女が慶次の目の前 にかけより自分のシャツをめくりあげる行為をする・・・。 大馬鹿者の慶 次はやってはいけないとわかっていながら小額のお金をそっと手渡してしま う、そのチップがあそこにいるロシアンマフィアの手に渡るとわかっていな がら・・・。 よろしいか、あの人たちと比べれば、私たちは幸せなどと考えるな、他者と 比べて自分たちの優越感を認識するような下品な思考は持ち合わせるな。 非情に思えるかもしれないが、比べることは常に弱者を探すこと、大人子供 関係なく、コミュニティが出来れば「あの人~」と比べる弱さが生まれる。 幹がしっかりしていない木々の枝葉は風に揺れ、しまいには幹ごと折れてし まうであろう。まず自分を見つめ、自分のできることをひとつひとつ仕上げ ていけ、幹がしっかりすれば感情を表に出しても流されることはないのだ。 彼彼女たちがパンを食べることが出来た喜びは私たちには想像できない、そ れは比べることではないし、独立する事象でしかないのだ。 などと自分自身に言い聞かせ書きつつ、コンビニの募金箱に小銭を入れてし まう偽善者の慶次であった。 *「もし世界が100人の村だったら(フジテレビ)」で挿入歌として 流れるスティービー・ワンダーの名曲を別ブログで取り上げてみました。 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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