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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
人権を縛られる一族の答えは「天皇」である。私たちは何らかの職業に就業すると
何らかの制約に悩まされる、あれに参加できない、これがしたくても出来ない。 しかし、基本的に国家が本人の職業選択の自由を奪ってはいないし、お金が無いの はその人自身のせいでしかない。そう、日本国憲法では私たちの生き方を国家が縛 ってはいない・・・天皇を除いて 日本は「国民主権」を高らかにうたっている民主国家である、しかしながら地理の 教科書や参考書には「立憲君主国」として色分けされているのが多い。 これは明らかにおかしい、君主というものは行政権を行使できるし、統治権の一部 も行使できる、国民主権とはまったく逆の概念である 現憲法第一章第二条には最近大きく取りざたされた、「皇室典範」という言葉が出 てくる、「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところに より、これを継承する」。 この「皇室典範」は、大日本帝国憲法下では憲法と同等の価値をもつものとされて いたが、現憲法下では単なる法律でしかない。ここで前回前々回の話が生きてくる。 憲法>法律であり、ジョーカーが「公共の福祉」である 皇室典範は純然たる法律だから、公共の福祉に反しない人権を制限することは出来 ないのだが、ここでは堂々と特定の一族の人権を縛っていることになる。 つまり天皇の人権を縛る(現憲法第一章を読んだことの無い人はよく読んでくださ い)ことが「公共の福祉」と合致しているとされているのだ。 「公共の福祉」という言葉は権力者にとって都合の良い言葉だ、なにかあれば、 「公(おおやけ)のため」と大儀を掲げ、権力を行使することができる、実際 地方では市長や町長が談合の結果・・・なんてことがまかり通っている 日本国の権力者は誰(機構)か、その権力者を縛るものが憲法であることを 再確認しておきたい 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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