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2007年06月16日
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カテゴリ:亜細亜



 三重県伊賀市の住宅街にある喫茶店「駕洛(から)」。濃い茶色のドアを開け、「イ・チョンジャさん、いらっしゃいますか」と声をかけると、奧から黒のノースリーブのシャツ、ジーンズ姿の女性が出てきた。店のママで在日韓国人二世の歌人、李正子さん(60)。

 <生まれたらそこがふるさと>うつくしき語彙(ごい)にくるしみ閉じゆく絵本

 中学校や高校の、一部の国語教科書や副読本に掲載されている歌だ。絵本の中の「生まれたからそこがふるさと」という美しい言葉も、生まれた土地を単純にふるさとと呼ぶことができず、苦しいものでしかない-絵本をめくる少女の指先のとまどいの様子が読む者の心をえぐる。

 李さんがこの歌を詠んだのは一九八五年ごろ。多くの在日韓国・朝鮮人が、外国人登録証切り替えに必要な指紋押なつ拒否運動を行った時期だった。「日本に住んでいる米国人は在日米国人とはいわないのに、どうして韓国人は…」。「在日」という言葉の響きに強い違和感を覚えていた。

 「在日」への指紋押なつは廃止されたが、今も心は晴れない。「在日にはいまだに参政権がない。『差別がない社会を』との行政のうたい文句が空言に思えます」

 中学生のとき、教室で在日韓国人は一人だけだった。国語の授業で先生が読む石川啄木や若山牧水などの短歌を初めて聞いたとき、孤独感がいやされた。学校で使っていたのは本名と違う日本名「香山正子」。朝鮮人がなぜ日本に。心の中で本当の自分を探すように万葉集や与謝野晶子の短歌を読みふけった。

 高校卒業後、地元の在日系の銀行に就職した。職場には日本語に交じって時折、朝鮮語が飛び交い、故郷を少しでも感じられるのではないかとも期待したが、「ここは日本でも朝鮮でもない場所」と感じてなじめず、結局一年で辞めた。

 「チマ・チョゴリを着て街を歩かないでほしい」。同じころ、結婚まで考えて交際していた日本人の男性から言われた一言で二十歳の恋は壊れた。絶望感や行き場のない苦しみを短歌に詠み、昇華させた。

 はじめてのチョゴリ姿に未(いま)だ見ぬ祖国知りたき唄(うた)くちずさむ

 そのころ、新聞歌壇に投稿したこの歌が、歌人近藤芳美さん(昨年死去)の目にとまり、短歌の道を歩むきっかけになった。近藤さんの主宰する結社「未来」に入り、三十四歳の八四年、第一歌集『鳳仙花(ポンソナ)のうた』を刊行。当初は五百部ぐらいと予想していたが、二千部以上が売れた。思わぬ反響だった。以来、歌集『葉桜』『マッパラムの丘』などを出し、社会の差別や民族分断の悲しみを歌で表してきた。

 「初めて歌集を出したとき、民族を赤裸々に詠むことに対して家族や在日の同胞から反対された。原稿を書きながら眠れぬ夜が続きました」と振り返る。苦悩を救ったのは、近藤さんの『今、人々に問わなくては』との励ましの言葉だった。

 「三十一文字を基本とする短歌では、小説のように多くの人物を登場させ、語らせることができない。どこまでも自己を凝視して内面の世界にうずくものを覚えないと歌えない。韓国人として日本社会でどう生きていくかが問われるのです」

 教科書に掲載された短歌や歌集を見て、遠方から喫茶店を訪ねる人がいる。「来る人のほとんどが日本人なんです。学校や職場でのいじめ、家族との確執…。苦悩の形は違うが、あのころ、私が感じていた心の痛みに共感してくれているのでしょうか」

 取材を終えた帰り際、五年ほど前に日本人女性と結婚した二男夫妻の写真を見せてくれた。「大きな壁を乗り越えて結ばれた二人を見ていると、たくましさを感じますね」とほほ笑んだ。

 第五歌集の刊行に向け、未来や希望を感じさせる短歌を詠みたいという。「朝鮮語の『恨(ハン)』は日本語の恨みの意味でなく、世の中の悲しみや苦しみを受け入れ、自己を解き放つことなんです。不自由を乗り越えた先にきっと自由が見つかる」と信じる。

 おおぞらへ風にまかせる雲のよう恨は不自由に自由をみている
売国東京新聞



この人にはなんのうらみもないが、ぼろくそ書かせてもらう

在日米国人とはいわず、なぜ在日韓国人(チョウセン人)というかだってよ

あんたらが通名制度を利用してわが国で傍若無人なふるまいをおこなうために

在日という都合の良い立場を選んでんじゃねえのかい?

自分たちからはっきり「わたしたちを在日と呼ばないで!韓国人、朝鮮人と呼

んで!」と声を大にして叫べばいい、もちろん通名制度も廃止だ、当然だろ

国籍が日本にない人間に参政権なんか与えるかい! ばかたれが、行政があんた

らが在日という理由でなにか負のサービスをしているのか?

逆だろ、ありもしなかった連行という虚偽にふりまわされ、今でも在日特権を

あたえ、生活保護にしてもわが国民よりも取得しやすくなっているではないか


戦後、GHQは再三、半島の人間に日本への渡航禁止を告げていたのに、勝手に

入り込み、コリアン地区をつくり傍若無人のふるまいをしてきた半島人

韓国側民潭の調べでも連行されて日本に住み着いた半島人は1%ほどと公式に

表明している、あんたらは悲しい思いをしてわが国にきたのではない!


最後にひとつ、在日一世ならいざしらず、二世三世にもなって韓国の伝統とか

いっている人たちは、実際にお国に帰って10年ほど暮らしてこいよ、あんたら

は伝聞や本などで見たふるさとに幻想をもちすぎなのさ、矛盾や厳しさも伝統に

混在しているし、住んで見ないとわからないことはたくさんある

そういう中で日本と朝鮮を比べるならまだしも、ゆめとうつつのなかで妄想を

たくましくしてもなにも解決はしない、どっかのお馬鹿文化人の影響かい?


ついでに、気持ち悪いほど左巻きな東京新聞(中日新聞)よ、いやすべてのマス

コミジャーナリストよ、このようなインタビューをするときに必ず聞いて欲しい

ことがある・・・


「ならば、なぜ、くににかえらないのですか? だれもとめませんが」



対馬では韓国人旅行客の傍若無人なふるまいが深刻化している
市が観光客目当てにやったこととはいえ、こうなった以上
自制を促せ、国は地方切捨て政治を即刻やめよ

韓国人旅行客と対馬(5分ほど)


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最終更新日  2007年06月16日 18時39分43秒
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