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2007年07月07日
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カテゴリ:歴史・戦史



 ちょうど70年前の1937年7月7日、北京郊外の川にかかる橋の近くで発砲事件が起きた。盧溝橋事件である。この争いをきっかけに日中戦争は拡大の一途をたどり、太平洋戦争を経て、日本は敗戦を迎える。

 いまも盧溝橋は健在だ。建造されたのは12世紀と言われる。当時のものがどこまで残っているのかは分からないが、重厚な石造りや欄干に並ぶ獅子像は長い歴史を思わせる。

 そのほとりの村に、抗日戦争記念館がある。事件をはじめ日中戦争の歴史についての展示が並んでいる。先生に連れられた子どもたちや人民解放軍の兵士たちが学習に訪れる。時折、日本からの観光客も足を延ばす。

■日中戦争の「起点」

 「七七事変」。盧溝橋事件を中国ではこう呼ぶ。満州事変が起きた9月18日と並んで、7月7日は民族屈辱の日として記憶されている。その後、45年まで続く悲惨な日中戦争の起点との認識だ。

 いま多くの日本人が戦争を振り返る時、思い浮かべるのは真珠湾攻撃の12月8日であり、敗戦の8月15日だろう。中国人にとって今日という日は、それに匹敵する記憶を呼び起こす。七夕を祝う日本とは大違いだ。

 その日に、私たちがこの社説を掲げるのは、この1年が日中両国にとって特別の意味を持つと考えたからだ。

 盧溝橋事件から70年、そして12月の南京大虐殺からも70年。中国や米国で最近、南京大虐殺などの映画がいくつも作られている。米議会では、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる決議案が本会議でも可決されようとしている。好むと好まざるとにかかわらず、今年は歴史と向き合わざるを得ない年なのだ。

■記憶にずれがある

 少し、歴史をおさらいしておこう。

 日本の中国侵略は、盧溝橋事件の6年前、1931年の満州事変が一つの起点だった。翌年、満州国が建国され、それらが原因となって国際連盟からの脱退につながる。日本は国際的な孤立への道を突き進む。

 戦争が本格化したのは、盧溝橋事件の後からだった。日本軍は戦闘を中国各地に拡大していった。さらに日独伊三国同盟を結び、インドシナ半島を南下するなどして、英米などとの対立は極まった。その結果、太平洋戦争に突入し、最後の破局に至る。

 日中戦争の歴史は、そのまま中国の近代史に重なる。国家存亡の危機であったのだから当然のことなのだが、一方、日本にとっては米国との戦争、とりわけ広島と長崎への原爆投下といった被害の方が深く記憶に刻まれがちだ。

 この記憶のずれが、友好をうたいつつも、ぎくしゃくしてきた日中関係の根底に影響しているのは間違いない。

 抗日戦勝利と言っても、被害の大きさは日本とくらべものにならないし、中国が日本を屈服させたわけでもない。戦後、賠償を放棄して「ゆるした」のに、日本はその重みを受け止めていないのではないか。中国は軽んじられている。そんな屈辱感も重なっているのを見逃してはならないだろう。

 反日デモの嵐が吹き荒れた一昨年春。デモ参加者の怒りには、さまざまな要因が絡まっていたことだろう。その一つに、江沢民時代に強化された「愛国教育」の影響があると言われた。

 揺らぎだした共産党支配の正統性を立て直すために、抗日戦争を学習させ、結果として日本への怒りを再生産することになった、という見方だ。

 その面があるのは確かだろう。中国の歴史研究にしても、政治権力から独立して自由に行われているとは言い難い。しかし、だからといって、日本による侵略を自らの近代史の中心テーマと受け止め、記憶し、世代を超えてそれを受け継ごうという中国人の心情を批判することはできない。

 いまの中国では、知日派の人々でさえ、戦争の歴史の話になると表情を変えることが少なくない。民族感情の渦が代々受け継がれていることを、私たちは意識しておかねばならない。

■首相の南京訪問を

 残念な世論調査結果がある。米国のピュー・リサーチセンターの今春の調査によると、中国を「かなり嫌い」「どちらかと言えば嫌い」とする人が日本では67%にのぼった。調査の対象となった47カ国・地域で最も高かった。同じように中国人にも日本を嫌う傾向が強い。

 今年は、日本と中国が国交を正常化して35周年にもあたる。盧溝橋事件からの70年間の半分は、関係正常化の年月でもあったのだ。それなのに、こんな数字が出てしまうことを私たちは深刻に受け止めなければなるまい。

 政治の役割は大きい。安倍首相になって、両国関係が修復の方向に動き出したのは歓迎すべき動きだが、もう一歩、勇気を持って踏み出せないものか。

 例えば、南京大虐殺をめぐる論争を建設的な方向へ押し出す。犠牲者数について中国は30万人と主張するが、いくら何でも多すぎないか。一方、あれは虚構だと言われれば、中国側が反発するのは当然だ。両国の歴史共同研究で冷静に検討が進むことを期待したい。

 そうした中で、日本の首相が南京を訪れてはどうだろう。小泉前首相や村山元首相は在職中、盧溝橋の抗日戦争記念館を訪れた。論争は専門家に任せ、現地を訪ねて慰霊する。中国の人びとからも、国際社会からも歓迎されるはずだ。

 この年を、感情と怒りがぶつかり合う年にしてはならない。

朝日新聞(ちょうにちしんぶん)ネット社説より




いつものことながら、どこの国の新聞??と思ってしまうね

対中感情の悪化は明らかに、ここ数年の中国側の日本に対する

態度でしょ、それをわが国に問題があるかのように印象操作す

るこの「ちょうにちしんぶん」の偏りっぷりは酷い号泣


最後の文面で、首相が抗日戦争記念館に慰霊に行くべきだと書

いてしまうところがいかにもだ、朝日記者だった本多勝一が中

国各地に取材に行き、「中国の旅」という共産党の主張をその

まま書き写したかのような本を出してから、何も反省していな

い朝日新聞しょんぼり

首相が慰霊に行くということは、中国共産党の主張を認めたと

とられる、それが世界のルールである、慰霊してから話し合お

うなんて、小中学生の喧嘩の仲直りの仕方じゃないんだからさあ


まあ、新聞なんてどこもイエローペーパーでしかないし、ネタ

としか思ってないけどねあっかんべー


盧溝橋にしろ、上海にしろ挑発して発砲してきたのはあちらさ

んなんだが、なぜだかそれはスルーして、「挑発にのった日本

が駄目」とか、「そもそも大陸に日本軍がいることがおかしい

」とか変な難癖をつけて中国側のおかしな点をうやむやにする

ひとたちには反吐が出るショック



1937年7月9日付『東京朝日新聞』夕刊から

「(盧溝橋事件について)今回の事件は支那側の挑戦的不法射撃に
 よって発生せるものなること1点の疑ひもなく、 戦友中に死傷
 者さへ出した。我が将兵一同の痛憤もさこそと思はれる」



1937年7月13日付『東京朝日新聞』から

「信義を無視する支那軍は幾度か約束を破って我が方に挑戦して
 くる。しかもその兵力は刻々増大して何時いかなる重大事が勃
 発するかも知れぬ情勢にあるのだ。」



1937年7月21日付『東京朝日新聞』社説「支那の挑戦的回答」から

「(停戦交渉における支那側の態度について)その調子のあまりに
 挑戦的であって、必要以上に興奮状態に陥っているといはねば
 ならぬ。かくては平和破壊の責任は当然支那が負うべきであらう」




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最終更新日  2007年07月07日 08時12分55秒
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