|
カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
”いさぎよく風に散りにし花のこと御国のためとただ進むらむ” 北白川房子元妃殿下 (入館券に記載) 特攻銅像「とこしえに」とT-6Gがお出迎えしてくれる この横には「母」をイメージした像が置かれ、「お母さん!」と叫び 死んでいった隊員たちの御霊を慰めている さらに砂利道のなか、歩をすすめると、「ごぉ~ん」という音色が聞こえて くる、夏休み家族旅行中なのか、子供たちが楽しそうに鐘をついていた 「平和の鐘」、神妙に鐘をつく人もいれば、キャッキャッうれしそうに鐘を つく子供もいる・・・鐘の意味はあとで知ればいい、楽しそうな家族の姿は 英霊にとってひとつの清涼剤となろう さあ、いよいよ平和会館に入るとしよう 残念ながら、会館内の展示物はすべて撮影禁止のため写真は無い 中には、特攻の変遷と歴史、隊員たちの特攻前の様子を写した写真や 遺書、遺品がズラリと並んでいる、また当時のアサヒグラフの勇猛なる 記事や写真がうらめしそうに掲載されている 海から30年後に引き上げられた「零戦」が展示されていた、20ミリ機関砲2門 13ミリ機関銃2挺を装備している大戦末期の型だ、写真は外から撮ってみた 会館に入ると、すぐに目に飛び込むピアノがある、「フッペルのピアノ」 昭和5年、佐賀県鳥栖の婦人会の方々が子供たちに本物の音色を聞かせた いと寄付金を募り、ドイツから最高級のピアノを取り寄せました。 そのピアノは鳥栖国民学校に贈与され、子供たちは本物の音色で音楽を 勉強することができました、このときの寄付金は4500円、現在の1億円です。 それから15年ほど月日が流れた昭和20年、ある二人の音楽学校出身の青年が 鳥栖国民学校に走ってやってきました、彼らは明日出撃が決まっている特攻 隊員でした。「思い切りピアノを弾いて死にたい」とベートーベンの「月光」 と「海ゆかば」を弾きました。居合わせたこどもたちや先生は泣きじゃくり、 「海ゆかば」を一緒に歌い敬礼して見送ったのでした・・・。 時は過ぎ、フッペルのピアノは学校の隅に置かれ、廃棄処分になることが 決まります、昭和20年当時ピアノ担当だった上野歌子先生は廃棄処分にな るなら手元に置いておきたいと鳥栖小学校(旧鳥栖国民学校)の児童の前で あのときのことを話します、あまりにも痛烈な思い出のため、胸にしまいこ んでいた特攻隊員たちとのひととき。この話がラジオでも取り上げられ大き な反響を呼びました。上野歌子先生は講演先の宮崎で平成4年に亡くなられま した。 慶次はフッペルのピアノの話は知っていたが、フッペルのピアノを初めて見た とき、嗚咽をとめることができなくて、恥ずかしくてトイレで泣いた、いま書 きながらも涙が出てくる、平和な時代なら思う存分音楽の勉強を出来ただろう 会館を出て、三角兵舎に向かう、ここは特攻出撃前の2~3日を仲間と過ごす 兵舎だ、これは復刻施設ではない、当時の跡地に現存する三角兵舎である ここで飯を食べ、談笑し、酒を酌み交わし、そして飛び立っていった 三角兵舎の奥を覗くと、たくさんの石灯篭が置いてある これは特攻平和観音堂、中には特攻平和観音像が置かれている、大和法隆寺 の夢ちがい観音を模造したものだ、悪い夢と良い夢を取り替えてくれ、平和 と幸をもたらしてくれる仏像、慶次もそっと手をあわせ拝んできた さて、知覧の旅も次が最終回、もう少しだけお付き合いくだされ *写真はすべて8月15日撮影* 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[日本民俗・宗教哲学] カテゴリの最新記事
|