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一 夢 庵 風 流 日 記

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ニューストピックス

2007年08月24日
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”清き名をとわにのこして国のため身をささけけむ若きもののふ”
北白川房子元妃殿下 (入館券に記載)




至純


三角兵舎からタクシーが待つ場所まで戻る際に目に飛び込んだ

「至純」という石碑、贈り主は小泉純一郎前首相である

「至純」という言葉からもっとも遠い存在である政治家だからこそ

余計にかれら特攻隊員達がまぶしく見えるのかもしれない

政治家というものは清濁あわせのむことが出来てこそ一流といえる

理想ばっかり語っていたり、汚いことに手を染めてばかりいる人間

にはつとまらない、いや任せられない



慟哭

果たしてこの石碑に刻まれていることが実現するのであろうか?




アリランの歌声とほく母の国に念ひ残して散りし花花 光山文博少尉


ありらん


光山少尉(散華後、二階級特進にて大尉に)は、朝鮮人である、彼は

京都薬学専門学校(現京都薬科大学)を卒業し、陸軍航空隊を志願し

難関を突破、大刀洗陸軍飛行学校分教所(知覧)に配属となった

軍人になることに反対する母を一ヵ月後亡くす、そのときに父より

母の、「文博はお国に捧げた身だから、お国のために奉公を」という

言葉を告げられ、さらに父より、「日本が勝つか負けるか大変な戦争だ

十分戦ってくれ」という言葉を聞き、特攻志願を決めたのであった


昭和20年5月10日(特攻前夜)、彼はひとり富屋食堂を訪ねた、そこは

特攻の母と呼ばれる「鳥浜トメさん」が経営する食堂だ

多くの特攻隊員たちが大声で歌を歌っていた、トメさんは光山大尉にも

歌をすすめた、恥ずかしがりやの光山大尉は帽子を深々とかぶり、うつむ

きながらも、故郷の歌「アリラン」を歌った、なぜだか涙があふれてくる

涙声で歌う光山大尉の手を握り、トメさんも泣いていた・・・

彼は最後にトメさんに朝鮮の黄色い縞の布で作った財布を渡す、「出撃記念

光山少尉」と書かれ、トメさんが大切にしていたそれはいまでも残っている

大正9年慶尚南道生まれの卓庚鉉(たくこうげん)こと光山大尉は翌日、振武

隊として隼に乗り込み、24歳の若さで沖縄西の空に散った・・・


たらちねの母のみとぞ偲ばるる弥生の空の朝霞かな  辞世の句



特攻平和会館を後にし、次は「富屋食堂(いまは食堂ではない)」に向かう

トメさん(平成4年にお亡くなりになっています)のお孫さんが今は館長と

して様々なトメさんと特攻隊員たちとのつながりを示す展示物を守っている



富屋食堂


当時から変わらないたたずまい、特攻隊員たちはここに来ては、トメさんに

最後のお別れを告げて飛び立っていった、何人もの若者を見送ったトメさんは

戦後、多くを語ろうとはしなかった



富屋食堂3


この電柱を見て欲しい、これも当時のまま、リアル世代ではない慶次には

物珍しいことこの上ない、写真でしか見たことがない木の電柱だ


「ホタルになって帰ってくる」といって宮川軍曹が特攻出撃した翌日、一匹の

ホタルが食堂に舞い込んだエピソードなど、ここには重厚な空気が漂っている



タクシーの運転手さんに「知覧武家屋敷群」に行くこともすすめられたが、

時間の関係で泣く泣く帰ることにした、喜入駅まで送ってもらうことに

下世話な話だが、特攻平和会館、富屋食堂、武家屋敷群とタクシーを一台

貸切で6000円は安い、運転手さんものんびりしていい人だったなあ


そういえば喜入駅から鹿児島中央まで行く間に「桜島」がキレイに見え、

写真を撮っておこうとパチパチするも、すべて看板やら住宅やらが入り

込み、へたくそな写真しか撮・れ・な・か・っ・た!

さらに鹿児島中央から博多方面へ帰る際、九州新幹線を使ったのだが、

軽自動車と列車が衝突した影響でダイヤが乱れまくり、指定席券は無く

乗車率200%の自由席で帰ったのであった、もうホームで客の罵声が飛ぶ

飛ぶ、そりゃそうでしょ、あの暑い中「リレーつばめ」の乗換えで一時間

もホームに放置されているんだから、特急券の意味が無いよ号泣


慶次の知覧珍道日記はいかがだったでせうか、8月15日の敗戦の日と重

なったわけですが、やっぱり実際に訪れることはどんな本を読むよりも

肌で感じることができる分、いいなあって思いましたウィンク


最後にトメさんが残した言葉をご紹介して幕引きとさせていただきます



”なぜ生き残ったのか考えなさい。何かあなたにしなければ
ならないことがあって生かされたのだから”



*リレーつばめ
九州新幹線は途中で列車リレーをします、鹿児島-博多間なら
途中の駅で乗降し乗り継ぎです、指定席の方は例えば3号車6Dという席が
乗換えで4号車8Bというふうに変わります、正直面倒です(苦笑)


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つ・づ・く・・・





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最終更新日  2007年08月25日 04時57分03秒
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