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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
8月15日の敗戦の日に鹿児島知覧の特攻平和会館を見て回った慶次
時期的なこともあるのか、多くの老若男女が会館に訪れていた ・・・・・・・・・ 翌朝、ニュースが電車と軽自動車衝突の詳細を伝えていた、正直迷惑 天気予報では今日も晴れて暑くなるということだ、猛暑だってよ 「そうか、晴れるか・・・よし決めた!!」 ということでやってきました 早朝、鈍行で揺られ揺られて、ハウステンボス、諫早を通過し長崎駅へ 写している歩道橋の下で長崎市長が殺された 眼下には路面電車がチンチン鳴らして走っている、いい感じ 歩道橋を下りて、浦上方向に歩くとすぐに急な上り坂がある、その上には 「西坂公園」、日本二十六聖人殉教地が存在する 秀吉の禁教令により石田三成は京都でフランシスコ会員、信徒、イエズス会 関係者あわせて24名の耳たぶを切り落とし(秀吉の命令は耳鼻をそぎ落とす) 、市中を引き回した、その後、長崎で処刑を敢行するため徒歩にて死地へ 彼らは向かうこととなる、途中、彼らの世話をした2人の信徒をあわせ計26人 が西坂の丘にて槍で串刺しにされ殉教した この銅像に向かって右にすすむと記念館があり、その横に小さな小さな 殉教者の墓があった、どうしたものかと迷ったが、彼らにはこれがいい のだろうと、胸の前で十字をきり、冥福をそっと祈った 彼らのことはルイス・フロイスなどの宣教師によって欧州に伝えられ 死後約300年して列聖し、聖人となった、日本ではそれからさらに100年 ほどしていまのような記念堂がつくられた。 当時の宣教師は諜報委員もかねており、本国に詳しく日本の様子を伝え 本国も彼らの報告を大切にしていた、だからといって秀吉の弾圧が正しい とはいえないが、為政者にとっては怖かったのだろう、異国の信仰心が 西坂の丘をゆっくり下りて、灼熱の太陽の放射光を浴び、 とあるところに向かっている・・・そこは・・・長崎平和公園・・・ つづく *さっき二時間ほどかけて書いたのに、途中で終了しますとの文字・・・ IE7は本当に不安定だ、いい加減にしろ 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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