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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
長崎の街は写真のように山に囲まれている、このため広島より 被害が小さく済んだのだが、原子爆弾の威力は広島のそれを 上回っており、もし平坦な街並みだったら、被害はもっと大きかった 平和公園は最寄の駅は、「浦上駅」、慶次は間違えて長崎駅で降りた 長崎駅から平和公園へ向かい、まず爆心地公園に入った ここには原爆落下中心碑や浦上天主堂遺壁がある、もちろん無料 写真は中心碑、昭和20年8月9日午前11時2分、テニアンから飛び立った ボックスカーは原爆を手動投下、ファットマンはこの碑の真上約500メ ートルの位置で炸裂し、一瞬にしてひとつの街を破滅させた・・・ ここには下の川が流れていて、側壁は原爆投下時の頃の地層がそのまま 残されている、それにしても暑い・・・いや熱い・・・長崎 爆心地公園を抜け、「平和公園」へ この日、空は晴れ渡り、暑い一日となった、階段を上ると・・・ この「平和の泉」は被爆し、体中が燃えるように熱くて苦しんだ人々の 「水を・・・」という悲しき嘆願に応え、慰霊の意味も添えてつくられた 広島の「繰り返しません過ちは」という言葉よりも、長崎の石碑の言葉の ほうが慶次は胸にグッときた 平和の泉の向こう側に見える像は、「平和記念像」、天を指す右手は原爆を 水平に伸ばした左手は平和を、軽く瞑った目は死者の冥福を祈っている この日も多くの人々が来訪していて、水や花が添えられていた しかし、慶次は象徴的ではあるが被爆後10年ほどして建てられたこの像に 献花することが腑に落ちない、グルッとあたりを見回すと数十メートル横に 「原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂」というものがあった(写真は勘弁)、 いまだにここをさまよっている魂の鎮魂を思い、献花し、手を合わせる *ここでは無縁死没者の名前が掲載されていて、関係者が名乗り出ることを 願っている、このときは何も感じなかったが、後日HPを見て、書かれて あることに少し違和感を感じた。 そこには、「誰もが抵抗なく参拝できるようにするためにも、無宗教形式 となっています」とあり、いかにも靖国と対比するかのような印象を受けた 長崎、広島ともに、こういう政治的思想的な側面は排除して欲しいものだ。 次の2枚の写真は「平和記念像」を境にした写真、山に囲まれているのが 一目瞭然である、特有の地形を持ったがために原爆投下目標となった長崎 ここに来ると、この暑い中、深々と顔が隠れるような大きな帽子をかぶり 長袖の方々が献花している姿が多く見られた、雰囲気からして原爆症の 方々だということはすぐに理解できた あのひとたちにとって、昭和20年の出来事はまだ続いているリアルな歴史、 まだ生を受ける以前から、運命づけられた原爆との戦いなのだ 最後に、慶次は平和の鐘を明日への希望と死者への鎮魂のために鳴らした 余談だが、長崎ちゃんぽんは絶品!! *写真は8月16日撮影 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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