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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
がたごとがたごと電車に揺られ揺られて約7時間、やってきましたひろしま
とにもかくにも連日猛暑、そういうニュースは聞いていたが、九州より 暑かったなあ、湿気が高いのだろうか? うだるような暑さとはここ 駅前から路面電車に乗った、一律150円で地の果てまで連れて行ってくれる たくさんのせみが大声で鳴き続けるなか、厳然と建ちほこる負の世界遺産 「広島県産業奨励館」、現在の原爆ドーム ルーズベルトの後任として大統領になったH・トルーマンは原爆を日本に 落としたくてたまらなかった、完成した原爆を日本に落とせば間違いなく ジャップは降伏すると彼の日記には記録があり、さらにソ連参戦は7月の 時点で決まっており、その前に原爆で日本の息の根をとめるとトルーマン は意気揚々と原爆という兵器の完成を喜んでいた 1945年8月6日、テニアン島をエノラ・ゲイを含む計4機のB-29は上空から 見るとT字型で目標にしやすい投下ポイントである「相生橋」に飛び立った 8時15分、「リトルボーイ」投下、ほぼ産業奨励館の真上で炸裂 人工的につくられた「太陽」の熱はあらゆるものを溶かす、人間は影だけ を残し、蒸発してしまった、奨励館も無残な姿に変わり果てた・・・ そしてこのとき、原爆投下の報告を聞き、戦艦オーガスタ上でうれしさの あまり小躍りしているひとりの男がいた、合衆国大統領トルーマンである 1958年に完成した「原爆の子の像」は、原爆で亡くなったある女性の同級生 が募金活動を行い、慰霊目的の石碑として建てたものだ、後ろには常に千羽 鶴が山のようにかけてある、それにしてもここで4年前に起きた関学大学生に よる放火事件は悲しかったな (折鶴放火事件) ここからまっすぐ資料館のほうへ歩いていくと、原爆慰霊碑がある、この日も 多くのひとが訪れ、慰霊碑前は献花と水がたくさん置かれていた 慶次も水を地面のまわりに軽く降りかけ、線香をあげてきた、後ろにはためく 日の丸ごくろうさん この慰霊碑と原爆ドームの中間あたりに原爆供養塔がある、これはこの地域 一帯で亡くなった人を慰める塔だ、広島はほぼ壊滅状態に陥ってしまったため ここにいくつもの焼け焦げた遺体が運ばれ火葬したという、その後平和公園を つくるために工事がはじまると、地面から何体もの人骨が出てきたため、この 遺骨も慰めるために供養塔に納められた、いまでも慰霊祭はおこなわれている 下の写真は、原爆投下ポイントとなった「相生橋」、路面電車が走っている 相生橋の下に流れる元安川は宮島へ向かう水上バスが出航している いまではこのような美しい夕明けを水面に漂わせる元安川も、あのときは 多くの焼け焦げた遺体や焼け爛れた人々が熱さを逃れるために飛び込み、 死体の山だったようだ、なぜだか、そっと手をあわせてしまった 1995年に史跡に認定され、翌年はユネスコ世界遺産の登録が決定した 原爆ドーム、このときのユネスコ遺産登録に猛烈に反対した国がアメリカ 賛否保留を貫いた国が中国である アメリカ国内ではいまでも原爆が米国民だけでなく日本人をはじめとする 世界の人々を救った(ロバート・ジョゼフ)とする珍説がまかり通っている 中国は加害者である日本が被害者面するなということのようだ 本当に、こんなバカ二大国家に挟まれている地理的状況はなんとかならんか いまでは旧産業奨励館も、まわりの建物の巨大化から小さくなった が、しかし、存在意義は大きい この後、広島駅を出発し、岡山に着いたのが2時間後、隣接している県なのに そんなにかかるのね~、もうあたりは真っ暗になっていました 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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