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2007年09月13日
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テーマ:京都。(6100)

kyoutoeki


ということで、「京都編」のはじまり~


とりあえず、歩いて面白いところを見つけたら入ることにした・・・歩く人

東本願寺


烏丸通りを五条方面に、5分ほど歩くと見えてくる、「東本願寺」

慶長7年、家康は教如に京都本願寺の東へ寺地を寄進し、翌年、教如は家康

より寄進された寺地へ、常陸の妙安寺から親鸞六十歳、帰洛の折、別れを悲

しむ成然房に「我がを懐かしく思う時は、この像を見給え」と、形見として残

した宗祖の木像を迎え、御堂を建立して安置。 こうして東本願寺は別立する。

「おひがしさん」と呼ばれる東本願寺(大谷派)もいいが、やはり見るなら

本願寺


西本願寺(本願寺派)、正式名称「本願寺」かもしれない・・・目


親鸞聖人像が安置されている1636年に建立された御影堂は、現在「寛政の

大修復」寛政12年(1800年)以来2回目の「平成大修復」を行っている。

本願寺


写真奥が御影堂、ショベルカーも入り、本格的な大工事マル秘


では、ここで問題、次の写真「太鼓楼」にゆかりの深い武闘集団は?

本願寺


1865年に新撰組は隊士増加にともないここに屯所を移転する、策士である土方

の案であった。 西本願寺は勤皇派ひいきだったのだが、敷地内に屯所を置か

れ、来る日も来る日も大筒を撃ち調練する新撰組に参り、不動堂への屯所移転

をすすめ、その資金の半分を出すこととなる、土方はしめしめと思ったに違い

ない、ちなみに先にも書いたが東本願寺が家康の庇護を受けていたことに対し、

本願寺は対抗し、勤皇派をひいきしたのであった


本願寺


なんとも華麗で荘厳な「阿弥陀堂門」をくぐり中へ・・・歩く人


本願寺


目の前にあらわれる巨大な建物、「阿弥陀堂」は東西42メートル、

南北45メートル、高さ25メートル(御影堂はさらに大きい)の本堂であり

ご本尊「阿弥陀如来」を安置している   中は広い!広い!


さらに天井が高く、風がしっかり吹き抜けるため、涼しいのだ 

しかし、この本堂も四度の火事にあい、現在の姿は明治時代に

再建されたもの、少し残念であるしょんぼり


本願寺


「総門」、堀川通りを隔て建てられている、本来は奥の「御影堂」が見える

のだが、ごらんのとおり、平成の大修復の垂れ幕等で隠れてしまっている

門から撮影方向へは仏壇具屋さんが並んでおり、ひとつの城下町のようだ


本願寺は戦国時代、戦国大名と肩を並べるほどの強大な勢力となる

これは親鸞よりも蓮如の影響が強いであろう、彼の地道でありながら

フィクサーの側面をも持つ布教活動は民衆に反権力のパワーを与え、

一揆という形で成就する、もちろん蓮如がこれを望んだわけではないが

ある意味、領主への反抗一揆は社会革命と呼んでもいいもので、これは

日本における本格的な革命の時期だったといえるかもしれない


明治維新は単なる武士同士の主権争いでしかないと慶次は考えている


この後、信長との死闘を経ることになるが、武力では負けなかった彼らも

正親町天皇の勅命を引き出した信長の策には屈することとなる


最初に紹介した、徳川家康が徳川時代に教如に土地を寄進したことは、

前例を糧に、大きな勢力になる前に分派させたほうが得策と考えた家康の

巧妙なトリックであり、これにまんまとのってしまった本願寺は、東と西

に分派し、幕末は幕府側と勤皇派にわかれることとなる・・・あっかんべー


本願寺


おっしゃれ~~~な「本願寺」マークスマイル

明治に名字必称となったことで、両本願寺とも親鸞の墳墓の地である大谷

を名字とし、ふたつの大谷家はともに伯爵を授けられ華族に列した、以上


京都日記は、まだつづく・・・


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最終更新日  2007年09月15日 16時09分13秒
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