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2007年10月14日
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カテゴリ:歴史・戦史
明治45年(大正元年)、東條英機は再度陸軍大学校を受験し合格する

明治41年に受験失敗をした東條、この4年間に大きく変わったことがあった

それは伊藤勝子との結婚、長男英隆の誕生である、この家族への想いが

すべての原動力となっていた

「大正元年、12月1日、本日より父上様、陸軍大学の試験お始めあり、母は

かねてからよりひそかに念じ申す鬼王様に参詣する事切なり。母は終日、出

来よかれと心痛め、英隆は平気に悪戯なす。寒気甚だしく英隆、咳を始む」

勝子と東條英機は育児日記をつけていた、夫に対する妻の気持ちが伝わって

くるようだ。 明治40年代といえば、当然だが明治大帝が在位して40年経っ

たということだ、つまり「国民はすべて天皇の赤子」という臣民思想が浸透

しており、家族の大切さを叩き込まれている軍人が多かった。

硫黄島の栗林忠道を出すまでも無く、親や子への愛情を示す手紙や手記はい

とまが無い。


東條は陸大を卒業後、陸軍省勤務を経て35歳のとき、ドイツ留学している。

ここで交わされた「バーデン・バーデンの密約」が彼を陸軍権力闘争の波に

巻き込んでいく。

「バーデン・バーデンの密約」とは、長州閥による陸軍支配からの脱却、総

動員体制の確立、軍政改革を目指すという3本柱からなる密約である。

父の不遇を身をもって体験している東條英機が長州閥解体のこの密約に同意

することは必然であったのだ。





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最終更新日  2007年10月14日 09時28分12秒
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