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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
日本の言葉の文化は敬語無くして語れない いまでこそ、主語がそれなりに書かれるようになったが 古典を読む際には、敬語の用法や種類を知らなければ読めない 間違いない、読めない 逆に考えれば、敬語さえマスターしておけば古典を自由自在に読めるのだ まあ、自由自在とは言いすぎであろうが、主語がわからなくなってしまい 文章を読めなくなってしまうことは免れることができる たとえば、「はべり」という語が出てくる古典作品が存在する その中で面白いのが、「紫式部日記」である、これは日記であって日記で ない、明らかに読者を意識して書かれている読み物の類である 当時、定子の素晴らしさをさまざまな箇所に取り入れ、書きしたためられ た「枕草子」が大ヒットし、道長たっての願いで彰子のよさを書こうとし たといわれる、あの「紫式部日記」 さあ、思い出してみよう、丁寧語「はべり」は聞き手(読み手)に対して 敬意をあらわす言葉である、このように敬語が中心に位置し、主語はぼか してきた文化、それこそが日本の敬語文化である 自分の位置を下げ、相手を持ち上げたり、相手をそのまま持ち上げたり、 常に相手との関係を重視し、その関係を示してきた日本が誇る「敬語」、 もちろん、その最高の位置に存在するのが「天皇」である 「お客様は神様です」という言葉が一世を風靡した、その昔、駄菓子屋に 行くと、おばちゃんやおじちゃんがテレビを見ながら店の中に座っていた ものだ、そして、「これちょうだい」と言うと、「はい、いつもありがと ね」と返してくれた 夕方になると、ぷぅ~という音を鳴らしながら豆腐屋のおっちゃんがチャ リンコを引いていつもの定位置で豆腐を売りはじめる 母親にボウルを持たされ、豆腐一丁を買いに行くと、「いつもありがとさ ん、揚げを入れておくよ」とサービスしてもらったりしていた なにも懐古主義に陥り、昔話に華を咲かせようとしているのではない いまや、無いところを探すほうが難しいほど、地域に溶け込んでいる コンビニエンスストア・・・ 家族で経営している店もあれば、学生のアルバイト中心の店もある たまに幼い子供がお菓子やアイスを買っていたりするが、そのときの様子 を見ていると寒気がする 少し緊張して、お菓子をレジに持ってくる子供、その子に対し 「いらっしゃいませ」 ピッ、ピッ・・・ 「168円になります」 「32円のお返しになります」 「ありがとうございました」 子供「・・・・」 たしかにお金を持ってきている以上、子供はお客様なのだろう でもね、寒い、本当に、寒い。 なんていうんだろう、この得たいの知れないモヤモヤ感は・・・ えっ? 敬語と関係ないって? こっちのほうがモヤモヤする? ざけんじゃないよ、慶次は寒気がしてんのさ 風邪かもしんない・・・ 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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