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2007年10月20日
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カテゴリ:歴史・戦史
東條はこの中心メンバー、永田鉄山に師事することになる

彼らのグループは長州閥の宇垣一成に対抗して、九州閥である真崎甚三郎

を担いだ、この真崎の東條に対する評価はとても高かった、メモ魔である

彼が横にいれば、使い勝手がいいのは確かだろうし、東條は部下への気配

りも忘れなかった。たとえば、兵の弁当がかためのおかずばかり続いてお

り、兵も疲労のため丸呑みしていることに対して、厳しい演習のさなか、

あのような固めのおかずは喉にとおるまいとして、やわらかめのおかずを

工夫するように主計中尉に注意を促している。

面白いことに東條は派閥を組むという考えがない、それゆえに計算して近

づいてくる人間に対しては嫌悪感を抱く、上官である真崎に対してもだん

だん反感を覚えるようになっていった。 これは永田鉄山も同じ気持ちだ

った。


真崎甚三郎と荒木貞夫が青年将校を焚きつけ、皇道派の乗っかるようにな

ると、永田、東條らは統制派として、これに対抗した。 しかし、陸軍の

体制は皇道派に傾きつつあり、東條も職場をたらい回しにさせられた。も

ちろん、真崎、荒木の嫌がらせである。

こんな中、ある事件が起きる、「相沢事件」だ。 これは1935年(昭和10年)

8月12日に、皇道派青年将校に共感する相沢三郎陸軍中佐が陸軍省において、

統制派の永田鉄山軍務局長を殺害した事件である。 これにより東條の命運

はついえたといえよう、当時閑職といわれた関東軍憲兵隊司令官に飛ばされ

た・・・東條英機、51歳のときである。

しかし、人生とはわからないものである、この翌年、かの有名な2.26事件が

起こり、東條は絶大な権力を得ることになる。




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最終更新日  2007年10月20日 11時38分29秒
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