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2007年11月01日
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カテゴリ:歴史・戦史
建国間もない満州は新京に赴任した東條英機とその一家、関東憲兵司令官

としての東條は満州の複雑な警察機構を憲兵も含め刷新した

軍人以外の取り締まりは出来なかった憲兵を、民間まで取り締まる「官警

統一」で解決し、東條は辣腕を振るった

そして、昭和維新を掲げた2.26事件が起こる、これは東條と対立した皇道

派が起こしたクーデターであり、これに対し、東條は「反乱軍」と断定し

満州国内に存在する皇道派に同調する輩を逮捕し、満州は平穏を保ち、事

件の影響は皆無であった

この収拾能力が軍中央で評価された、また、憲兵司令官の彼は、部下に厳

しく、それでいてよく意見を聞いた、この頃の満州が一番憲兵に対する非

難が少なかったころである

そしてこの辣腕ぶりが国内の憲兵たちの尊敬を東條が一心に集める結果と

なったのだ、この後、評価を高めた東條英機は板垣征四郎の後任として関

東軍参謀長に就任した


就任間もなくシナ事変が勃発、関東軍は参謀長東條を指揮官として北支へ

特設兵団を派遣、これこそが「東條兵団」である



<東條兵団>

昭和12年7月、シナ事変が勃発、チャハル作戦を命じられた東條英機が率い

る兵団を「東條兵団」と呼ぶ  東條兵団の進撃は電撃作戦ともいわれ、補

給部隊が間に合わず、米が食べれず粟飯ばかりの日が続いた

東條軍参謀長は常に食事は兵と同じものを出すように担当者に命じていた

少しでもご馳走が出ると、「これは兵食どおりか」と念をおしたという

東條兵団では、強盗、ごうかん、略奪などの事件があると峻烈きわまる措置

をとった、現地で日本軍が信頼されるために厳しく対処し、軍法会議送りに

したのだ、また東條は占領地の文化財保護にも努めた、雲岡石仏などは好例


四個旅団を率いて戦った東條英機の指揮官としての評価は高い

部下に対し深い愛情を示し、戦場において積極的に陣頭指揮をとり、糧食の

補給がなくとも兵と苦楽をともにした東條という男

なんだか指揮官として当たり前のことのように思うかもしれないが、当たり

前のことほど難しいことはない、実際、世界の指揮官でこのような実直なこ

とが出来た人物は数えるほどしかいない

名指揮官「東條英機」・・・政治家になったばかりにA級戦犯として汚名を

おびたまま絞首刑となったが、軍人のままだったら、後世に名将として名声

を残したかもしれない人物だった


次回・・・満州と東條



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最終更新日  2007年11月01日 13時24分15秒
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