|
カテゴリ:歴史・戦史
満州における人脈として、「二キ三スケ」を説明しておこう 「二キ三スケ」とは名前の一番後ろの漢字部分をとってもじった 言葉であり、満州人脈5人のつながりを示すものである 東條英機 (満州国参謀長) 星野直樹 (満州国務長官) 松岡洋右 (満鉄副総裁) 鮎川義介 (満州経済人) 岸 信介 (満州経済官僚) 星野直樹は形式上置いていた満州人の総理大臣を実質的に操る立場にいた 満州国務長官であり、財政を一手に握っていた、大日本帝国大蔵官僚出身。 松岡は満鉄が単なる鉄道会社から満州経営の国策会社へと脱皮することに 積極的に関与し、この後、外相時代は国際連盟脱退を決めた男。 鮎川義介は日産を満州に移し、満州重工業開発株式会社総裁として辣腕を 振るった経済人。 妖怪と呼ばれた、「岸信介」は先ほど、内閣総理大臣の職を辞職した 安倍晋三氏の祖父である。 岸の回顧録として、満州時代に板垣征四郎参謀総長に講釈を垂れたとか、 東條内閣総辞職の理由の引き金が岸によって引かれたときの様子といい、 勇ましい話が多い(まわりの人々は法螺と断言している)、満州離任の際 の挨拶は、「出来栄えの巧拙は別にして、ともかく満州国の産業開発は私 の描いた作品である」と自慢げに語っている。 しかし、残念なことに、この自己回顧録はほとんどまわりからは評価されて いないし、大法螺吹きとまでいわれている。 満州国関東憲兵司令長官時代の東條に近づき、仲良くし、その後は東條に取り 立ててもらい、商工大臣にまで上り詰めた岸信介は結構口が軽いほうではあっ たが、満州時代のことはほとんど語っていない。 東條内閣時代、高松宮の側近だった細川護貞の「細川日記」には、満州から もたらされる黒い金(アヘンをも含めた闇の金)の分け前争いが東條内閣 崩壊の理由のひとつだったと書いてある。 東條は派閥や政党の援助が無いのに、関東軍参謀総長から異例の大出世を遂げ ており、満州のフィクサーと呼ばれた甘粕正彦との関係は興味深いが、甘粕は 敗戦と共に服毒自殺をしており、すべては闇の中・・・ この時代、アヘンは戦略物資であり、イギリスの地球規模における戦略は恐ろ しいものがある。 その利権を握り、真面目すぎるがゆえに大日本帝国の未来のために自分が上に 行って、なんとかせねばと思いつめ、頑固なまでの狭い視野に陥った東條英機、 利権で遊んで暮らそうと考えた守銭奴の岸信介は首相になったり、日米安保の 話がよく出るが、基本は贅沢をして女をはべらせ暮らしたいという官僚楽天家。 実際、80歳で愛人を囲い、朝からステーキを食べていたと回顧録や証言で残っ ていたりする・・・ 次回は、「東條英機と石原莞爾」 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[歴史・戦史] カテゴリの最新記事
|