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テーマ:ニュース(100216)
カテゴリ:歴史・戦史
アンネリーズ・マリー・フランクは、1929年生まれで、没年齢は15歳、 1945年没である。 ナチスドイツのユダヤ人狩りを恐れ、一家はドイツ からオランダに移住した。 1940年には欧州大戦勃発、そしてオランダ はナチスドイツの電撃作戦により、陥落する。 彼女が残した日記はナチスによるユダヤ人狩りが激しくなる1942年から 1944年8月1日まで書かれたもので、ゲシュタポに捕まったのもこの年で あり、その翌年、強制収容所で命を落とした。 彼女の日記は、ゲシュタポへの恐怖が書かれているとはいえ、どちらか というと思春期の女の子が持つ感性、それも恋や女性へのステップアッ プといったものや、家族の人物評を赤裸々に記してあり、文学作品とし て秀逸であると慶次は思う。 隠れ家で生活するアンネは、この日記の後半で、自然の素晴らしさを書 いており、極限の状態が彼女の意識を自然に振り向かせたのだろう。 自然に魅力を感じたアンネは、「生きる」という素晴らしさを再確認し 日記の後半では、家族に対する愚痴などが減り、悲観的な内容よりも、 前向きな、「生きる」喜びが書かれるようになる。 少し大人になったアンネは、強制収容所での過酷な生活のなかでも、 最後まで強く生きようと思ったに違いない 同じ年(1929年)、ベルギーで生まれた彼女は、5歳でロンドンへ、さら に10歳でオランダに移住し、欧州大戦のときには、ナチスに対しレジスタ ンスとして活動していた・・・彼女の名は 「オードリー・ヘプバーン」 彼女は「アンネの日記」映画化の際、アンネ役のオファーを断っている。 理由は、「 女優というのは、全く別の人格になりきって演じるものです。 アンネ・フランクは他人ではなく、私自身であり過ぎたためにもう一度 つらい体験をすることはできなかったんです 」 オードリーはアンネであり、アンネはオードリーだったのだ。 オードリーは晩年、ユニセフ活動を熱心に行い、内戦や紛争に苦しむ 子供たちに手を差し伸べ続けた。 朗読コンサートでは、あの「アンネの日記」を朗読し、ひとつの区切りを つけたのだ・・・しかし、その頃から彼女の体調は下降していった。 オードリー・ヘプバーン、享年63歳 慶次は、彼女の映画の中で、「ローマの休日」と「おしゃれ泥棒」が 大好きです 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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