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2007年11月15日
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テーマ:ニュース(100216)
カテゴリ:歴史・戦史



 
 【ブリュッセル13日時事】オランダ・アムステルダム市当局は13日、「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク(1929~45年)の一家が第2次世界大戦中に隠れ家として使った同市内の家の裏庭に立つ樹齢150年を超えるマロニエの木が立ち枯れ状態となり、倒れる危険があるため、21日に撤去することを決めたと発表した。

 ナチス・ドイツの迫害から逃れこの家に隠れ住んでいたアンネは、屋根裏部屋からこの木を見上げては、日記に何度も書いていた。アンネにとっては、自由の象徴でもあった。 

[時事通信社][ 2007年11月14日8時23分 ]



アンネリーズ・マリー・フランクは、1929年生まれで、没年齢は15歳、

1945年没である。 ナチスドイツのユダヤ人狩りを恐れ、一家はドイツ

からオランダに移住した。 1940年には欧州大戦勃発、そしてオランダ

はナチスドイツの電撃作戦により、陥落する。

彼女が残した日記はナチスによるユダヤ人狩りが激しくなる1942年から

1944年8月1日まで書かれたもので、ゲシュタポに捕まったのもこの年で

あり、その翌年、強制収容所で命を落とした。

彼女の日記は、ゲシュタポへの恐怖が書かれているとはいえ、どちらか

というと思春期の女の子が持つ感性、それも恋や女性へのステップアッ

プといったものや、家族の人物評を赤裸々に記してあり、文学作品とし

て秀逸であると慶次は思う。


隠れ家で生活するアンネは、この日記の後半で、自然の素晴らしさを書

いており、極限の状態が彼女の意識を自然に振り向かせたのだろう。

自然に魅力を感じたアンネは、「生きる」という素晴らしさを再確認し

日記の後半では、家族に対する愚痴などが減り、悲観的な内容よりも、

前向きな、「生きる」喜びが書かれるようになる。

少し大人になったアンネは、強制収容所での過酷な生活のなかでも、

最後まで強く生きようと思ったに違いない号泣


同じ年(1929年)、ベルギーで生まれた彼女は、5歳でロンドンへ、さら

に10歳でオランダに移住し、欧州大戦のときには、ナチスに対しレジスタ

ンスとして活動していた・・・彼女の名は


 「オードリー・ヘプバーン」


彼女は「アンネの日記」映画化の際、アンネ役のオファーを断っている。

理由は、「 女優というのは、全く別の人格になりきって演じるものです。

アンネ・フランクは他人ではなく、私自身であり過ぎたためにもう一度

つらい体験をすることはできなかったんです 」


オードリーはアンネであり、アンネはオードリーだったのだ。


オードリーは晩年、ユニセフ活動を熱心に行い、内戦や紛争に苦しむ

子供たちに手を差し伸べ続けた。

朗読コンサートでは、あの「アンネの日記」を朗読し、ひとつの区切りを

つけたのだ・・・しかし、その頃から彼女の体調は下降していった。

オードリー・ヘプバーン、享年63歳


慶次は、彼女の映画の中で、「ローマの休日」と「おしゃれ泥棒」が

大好きですぽっ




      




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最終更新日  2007年11月15日 12時05分19秒
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