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2007年12月07日
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カテゴリ:歴史・戦史
東條と石原は永田鉄山の派閥である統制派であり、石原が関東軍参謀

副長として着任したことを、当時、関東軍参謀長であった東條が喜ん

でいたそうである。 しかし、石原の東條に対する越権行為が目立つ

ようになり、ふたりは仲が悪くなった。

この反目こそが、戦後、悪玉東條に対して反東條の筆頭、石原莞爾を

善玉にしたてあげ、天才とまで呼ばれるようになった所以であろう。


「世界最終戦争論」を書き上げ、日蓮宗の宗教家であり、東亜連盟の

活動家として活躍した石原を東條は厳しく弾圧し、放逐した・・・


わが国だけでなく、世界史、こと昭和史において大きな分岐点となっ

た「満州事変」は石原莞爾によって計画、指導された。

しかしながら、石原はA級戦犯に問われることは無かった、理由は諸説

上がっているが、東條と反目し弾圧され、開戦当時要職になかったとい

うこともあったようだ。

しかし、わが国の戦争路線のポイントである、満州事変の責任者が無罪

というのは無理がある、これは石原莞爾自身が認めている。

一方、東條は石原が画策した中国進攻路線を踏襲し続け、その禍根を刈

り取るという損な役回りを演じた。

満州国建国により、シナは抗日民族統一戦線を結成し、シナ事変へ至る

強力なナショナリズムの高揚をきたした。

そのシナ事変に対し、不拡大路線を提案した石原だったが、自分が蒔い

た「下克上思想」によって、種を刈り取ることができず、結局、石原の

蒔いた種を刈り取る役目を演じたのは東條であった。


「下克上思想」とは、石原莞爾が独断で行った満州事変から満州国建国

において、彼は中佐でありながら上層部の意向を無視し、勝手に引き起

こし、これに陸軍本部が追認する形になった。

結果が良ければそれでいいという風潮がつくりだされ、シナ事変におい

て、中堅幕僚が暴走し、戦線が拡大していくことになる。

石原(不拡大路線)は武藤(拡大路線)に論破され、わが国は泥沼のシナ

戦線を戦い続けていくことになった。


東條に反目することで善玉となり、英雄的扱いを受けている石原莞爾だが

彼は、北部アジア人種を優越し、ヨーロッパ人種を打ち倒し、世界は日本

の下に統制されるとしている、五協和族思想も大アジア主義思想も結局は

彼の人種差別思想に根付いているにすぎない。

それもそのはず、この時代、植民地を持つ国々といえば白色人種であり、

彼らに対し、対抗心を持ったのは石原だけではなかった。


石原の面白いエピソードで、軍事裁判のなかで、どこまでも日本の過去の

戦争責任に遡ろうとする連合国側に対し、そこまで過去に遡るというなら

ペリーをこの法廷に呼べというものがある。

ペリーが軍艦を4隻引き連れ(たった四杯で夜も眠れず)たときにマスト

にたなびかせていた星条旗は、日本が敗戦を認め調印したミズーリ号のマ

ストに御丁寧に用意され、その日のニューヨークの新聞には、太平洋の邪

魔者は消えた、これで中国マーケットは我々のもの、という記事が載った。

これを石原が知っていたか知らなかったかは定かではないが、彼からすれ

ば、そこまで遡るというなら、ペリー来航だって裁かれなくてはならない

のではないかという思いだったに違いない。


もうひとつ面白いエピソードで、東條と石原の仲の悪さを見抜いた裁判長

が、石原に東條に対する証言を聞き出そうと思い、「石原さん、この戦争

で一番悪い戦争犯罪者は誰だ?」と尋ねた。 当然、「東條だ」という答

えをまっていたが、石原は「それは米国大統領トルーマンで

ある、罪の無い人々を原子爆弾によって20万人も殺したではないか!」

と一喝、これを聴いた裁判長は記録の削除を命じ、裁判は閉廷した。




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最終更新日  2007年12月07日 19時07分31秒
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