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カテゴリ:事件・災害
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「お父さん、お父さん、あの本取ってよ」 「あの本? こんなのうちにあったんだなあ」 啓太は背伸びをして本棚の上のほうに置いてある一冊の本を 手に取り、息子に手渡した。 「どうするんだ、この本」 「うん、学校の宿題で読書感想文を書くんだ、お父さん、ありがとう」 正午をまわった頃、息子が二階から足早に降りてきた。 「お父さん! クローバー、四葉のクローバー!」 「どうした、シロツメクサなら庭にたくさん咲いてるぞ」 「違う違う! 本から出てきたんだよ」 「えっ?!」 啓太の前にそっと差し出された息子の右手の上には、綺麗な 四葉の押し葉がのっていた。 (そういえば、この本・・・) あのクローバー事件の約二ヵ月後のことだった。 図書係の文也がうれしそうに啓太のほうへ走り寄り、 一冊の本をぶっきらぼうに差し出した。 「啓太、おまえこの本読みたかったんだろ」 「あっ、うん、ありがとう! どうしたのこれ」 「今日、図書室に返ってきたんだ、オレ、まだ本の整理があるから」 (あのときの本・・・) 「ちょっと、その本を貸してごらん」 啓太は息子から手渡された本をパラパラとめくり、 最後のページに差し込まれている図書カードを抜き取った。 「五月二十二日 小林文也」 「五月二十九日 小林文也」 ・ ・ 「七月 十七日 小林文也」 「七月二十四日 矢島啓太」 (あいつ、オレに貸すまでずっと持っててくれたんだ) 啓太はクローバー事件のあとから、ぎくしゃくしたふたりの仲が 快方に向かった二ヶ月の間、自分のためにずっと、この本を借りて いてくれた文也の心遣いがいたいほど胸にしみた。 啓太は四葉の押し葉を和紙に包み、胸のポケットにしまった。 「お父さん、午後からキャッチボールの約束でしょ」 「うん、そうだったな」 ツクツクボウシの声が響き渡る原っぱに着いたふたりは、 キャッチボールをはじめた。 何球目だっただろうか・・・ 「あっ! お父さん、ごめん」 小さな白い花の咲く緑の絨毯の上で一休みしているノーコン ピッチャーの投げた白球は、啓太を懐かしい場所に招待した。 「シロツメクサ・・・」 啓太は胸のポケットから四葉の押し葉を丁寧に取り出し、 シロツメクサが生い茂る緑の海原にそっと沈めた。 「お父さ~ん、早く早く」 息子が右手をぐるぐる回して呼んでいる。 朝方に降った雨がこしらえた小さないくつもの水たまりには、 真っ白な入道雲がゆらゆらと浮かんでいて、時の流れを操って いるかのようだった。 ツクツクボウシの声がひときわ大きくなった。 今年の夏も、もう終わろうとしている。 完 缶 艦 寒 ぷっ *この短編小説を書いているとき、この曲が 頭の中を駆け巡っていました。 第一話「宿題」はこちら 第二話「レンゲ」はこちら 第三話「クローバー」はこちら 第四話「教室」はこちら 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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