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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
タケルが東進する際に、走水海を渡ろうとしたのだが、海の神が
邪魔をする、どうやらタケルの壮言が癇に障ったらしい そこで、タケルの妻「オトタチバナヒメ」は自分が海に身を投げ、 海神の嵐をおさめ、タケルの東征の手助けをしようと思いつく さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも 辞世の句を詠み、ふわっと海中に飛び込むオトタチバナヒメ・・・ 身にまとった羽衣がひらひらと舞い、まるで一羽の白鳥が空を飛ぶ ような、美しきも儚いヒメの舞いだった 波はおさまり、海を無事に渡ることができたタケルは、まだ愛する 妻は生きていると信じ、海岸を見渡し、さまよい歩いた 七日後、ヒメがつけていた愛らしい櫛が、波にやさしく運ばれ、 タケルの足元に流れ着いた 彼は大粒の涙をぼろぼろこぼし、櫛をひろいあげ、ヒメの墓を そこにつくり、悲しみの中、東征を続けるのだった その後、東国をおさえたタケルは、足柄峠にさしかかると、「吾妻はや」 と憂いに満ちた瞳で東を見つめ、亡き妻を想い、号泣するのであった ・・・のちにひがしのくにぐにを「あづま」と呼ぶようになったのは このためである *簡潔に書いて、タケルの死まで行こうと思ったけど、書いている うちに、感極まってしまい、本日はここまでで終了 あと、余談ではあるが、櫛が7日後に見つかったことと、初七日は 連動しています 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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