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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
能褒野(のぼの)神社は三重県亀山市にあり、創建は明治28年・・・
そう、明治政府が出来てから、建てられた近世日本の神社である 明治に入り、タケルの墓の諸説を整理し、もうこれにしちゃおうと タケルの墓として決めたのがT字塚と呼ばれていた前方後円墳だった そしてその後、有志により、 この能褒野陵の近くにタケルを主祭神 とする能褒野神社が創建されたのだ まあ、堅苦しい説明はなるべく省いて、ともに参ろうではないか 奥に一つ目の鳥居が見える、大きな階段をゆっくりと上っていきましょう 鳥居前にて軽く一礼をし、さらに奥へと進む 拝殿が見えてきましたね~、またまた鳥居前にて一礼し、奥へ奥へ お参りをしましょうか、さらに記帳もしちゃいましょう それにしても、その時計はないんでないかい ちょっと浮いてんじゃんか 参拝を済ませ、この位置から左に行くと、「連理の榊」なるものがある 雄株と雌株二本の榊の木が高さ3mほどの所で横に延びた一本の枝で つながっていて、まるでタケルのために入水したオトタチバナヒメと 「吾妻はや」と嘆いたタケルのように仲睦まじい榊だ さてと、タケルのお墓に行くかなっと歩いていたら、陪塚指定地が ありました、陪塚って有力者の親近者の墓なのだ、宮内庁管轄~ またまた階段である・・・ しなりしなりと軽やかな身のこなしで駆け上がると宮内庁の看板 そして、目の前には タケルのお墓がありました タケルはこの地で亡くなり、白鳥となって大和を目指した 故郷とはそういうもの、死期が近くなると心や体が懐かしき あの頃を思い出し、あの場所で死にたいと感じるものであろう 死んだあとであっても、魂は故郷を目指すか・・・ 能褒野神社・・・主祭神 日本武尊 配祀 弟橘媛 建見児王 *建見児王は県主(あがたぬし)神社の祭神であり、この神社が 能褒野(のぼの)神社に合祀されたとき、建見児王も祀られた 一 夢 庵 風 流 日 記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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