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テーマ:ニュース(100194)
カテゴリ:国内政治
少し前の話題であるが、これからのわが国の社会で問題となる
高齢化と介護、そして人間の生きる意味を含む話題ゆえ、 知っている人も知らなかった人も、少しの間、おつきあい願いたい 06年にとある母と息子が無理心中を図った、息子は一命をとりとめた 無職片桐康晴は、95年に父親を亡くし、その頃から母親に認知症の 症状が出始め、仕事と併用して、ひとりで介護をするようになった 05年、母は徘徊の症状まですすみ、警察に度々、補導されるようになった 康晴は仕事を休職し、デイケアを利用したが介護負担は軽減せず、会社を 退職する 同時に、生活保護を申請したが失業給付金期間であったため、認められず 介護と両立できる仕事を探すも難航し、失業給付金もストップ カードローンも限度額に達し、ここに心中を決意する 心中当日の06年2月1日、車椅子の母を連れて京都市内を観光した そして伏見区桂川河川敷の遊歩道で母にこう告げた 康晴「もう生きられへん ここで終わりやで」 母親「そうか、あかんか 康晴、一緒やで」 康晴「すまんな」 母親「康晴はわしの子や わしがやったる」 母は、康晴のおでこに額をくっつけ、そう言った そして、片桐康晴は母親の首を絞めて殺害、その後自分の首を包丁で 切り自殺を図るが、発見が早く、一命をとりとめた 京都市内観光は、母への最後の親孝行のつもりであった この裁判の意見陳述中、傍聴席からはすすり泣く声が多く聞かれ、 東尾裁判官も目を真っ赤にし、刑務官までもが涙を流していた 康晴が最後に述べた、「今度生まれ変わるときも母の子に生まれたい」 という言葉は、それまでの献身的な介護の過程を考えれば、決して 嘘ではないであろう 判決は、懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年) 06年公判当時の記事として、産経新聞を載せておきます
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