|
カテゴリ:事件・災害
2001年9月11日 現地時間午前8時45分
アメリカ合衆国において、ニューヨークにそびえ立つ 世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟に旅客機が衝突 それから約20分弱たった頃、南棟に二機目の旅客機が衝突 特に二機目の衝突は、一機目の衝突を中継しようと各メディアが現場を 放送しながら、実況していたため、生中継でこの様子が世界に配信された 2001年9月11日 日本時間午後9時45分 その時間、慶次はまだ仕事をしていて、ごく普通の一日を過ごしていた 同僚がいつものようにパソコンを眺め、新しい記事をあさっていたとき、 「アメリカで飛行機衝突事故だ、貿易センタービルに突っ込んだみたい」 当時、最初は飛行機事故と報道されたと記憶している こういう時にいち早く情勢を伝えるメディアはやはりNHKである テレビをつけると、黒煙がビルから上がり、衝突した位置がはっきり 分かった しばらくボーッと見ていると、二機目が旋回するようにビルに衝突する 映像が流れた・・・と思う 正直、このあと何度も流される映像と生映像を取り違えているかもしれない 自分の記憶に自信がない 慶次は、当時このテロ行為にどのような感情を抱いたのか 確かに怒りはある、しかしそれより驚きと、あってもおかしくないという 当時のアメリカブッシュ政権の動きの結果というクールな見方をしていた 日本では首相がいち早くテロとのたたかいを表明、国会はその話題で持ちきり ネットではアメリカの自作自演、ユダヤの仕業といった陰謀説が踊った マイケル・ムーアがブッシュとラディンの関係を示す映画を公開 その後、イラク戦争が起こり、ブッシュは中東をグチャグチャにしたまま 退任した 2011年3月11日 日本時間14時46分 東北三陸沖にて巨大地震が発生、その後の大きな津波により、東日本の いくつもの県が被害にあい、尊い命が数多く奪われた 当時、横浜を訪れていた慶次は、大きな揺れにかなり動揺したことを覚えている そして、遅れて発表された津波の様子、飲み込まれる町並み 阪神淡路のときは、当初テレビにうつる炎上する都市が外国の都市と思い テロップで流された「神戸」という文字に、しばし呆然となった 今回の地震で津波の恐ろしさを嫌というほど思い知らされた すべてを根こそぎ倒し、流してしまう大きな自然の力 しかし、感傷に浸る間もなく、福島原発がメルトダウンを起こし 一帯は放射線汚染が進み、地域住民も非難を余儀なくされる事態が発生 増える死者数、遅々として進まない復興支援と原発封鎖 菅は無能という烙印を押され、身内からも非難を浴び、引き摺り下ろされた 歴史に「if」はない、あの時こうすればよかったと後悔するくらいなら 起こりうる可能性を精査し、核心をついた議論を常にしていこう 「9.11と3.11」、借金まみれの世界経済大国二か国の苦しみは まだまだ続くことだろう
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月11日 10時44分04秒
コメント(0) | コメントを書く |