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昨今、twitterでつぶやいたことにより、社会的な制裁を受ける事例が目立っている。
例えば、飲酒運転、万引き、犯罪予告などの行為をつぶやいてしまったがために、 学生ならば退学や停学処分、社会人ならば自他問わず退社するというパターンだ。 なぜ、言わなくてもいいことを、わざわざ公衆に向かってつぶやくのだろうか。 この問題を、探ってみたい。 1、ツイートしたかったのは、知り合いのみだったが・・・ このパターンはわかりやすい。一時期ミクシーにおいて、画像の流出や犯罪行為の 記事などが取りざたされ、非常に問題となった。限定的な公開という形式ゆえに、 自らが行った行為を知りうるのは、許可した者のみと安心して、非常識な行動を わざわざ掲載するというパターンである。 twitterにおいても同じことで、自分とフォロワーとの完全な密室の中でやり取り を行っていると錯覚し、見事に公衆に自爆的なつぶやきを拾われる。 2、自己主張してみた・・・ これは、自己主張が主な動機である。上記はフォロワーとの関係が保たれた中で 起きる事象であるが、これは、フォロワーが極端に少ない場合に起こる行為と 考えてよい。 とにかく、フォロワーを増やしたいという単純な理由で、奇抜な画像を載せて みたり、犯罪行為(真か否かは別として)をつぶやき、注目を得ようとする。 3、社会的混乱が目的・・・ これは、最初から確信犯としてつぶやいている場合だ。虚偽の犯罪報告により 混乱を生じさせようと意図していたり、ストレスのはけ口として、実際に起き たことを暴言もそえてつぶやく。 4、ただのアホだった・・・ 1~3に入らない場合である。端的に言えば、何も考えずつぶやいたら、それが 人のプライバシーを侵害していたり、営業妨害につながっていたりするケースと 考えてよいだろう。 インターネットによる功罪としてのキーワードは「情報」である。私たちは、 多くの情報を手短に得ることができるだけでなく、発信できるようになった。 20世紀までは、主に発信者はマスコミであって、受け手が発信者にまわる ことはレアなことだった。 これにも功罪がある。今まで泣き寝入りせねばならなかったような様々な 複雑な問題が、公に定義され、それについて活発な意見交換が為され、 問題解決に大いに役立つ功の面。 適当なことでも発信できるため、狼少年が増加し、いざというときに本当の 情報が埋もれてしまう危険性が出る罪の面。 確かに「情報」の信不信は己の判断で行うべきであるが、多くのケースに 当たらない限り、確実に情報を峻別できる能力は得られないと思われる。 つまり、「情報」の受け手としての能力と発信者としての能力、言い換えれば 「メディア・リテラシー」を積極的に鍛えない限り、社会的混乱から逃れる術はない。 小中学校のカリキュラムに組み込むことも検討すべきである。 ただ、教える側がどれだけメディアリテラシーを有しているか、はなはだ疑問であるが。 つぶやくという簡単な行為も、ネットでは多くの人が触れ、そのつぶやきは 永遠に残ることだと思ってつぶやこう。 当然だけど、つぶやくも何も、犯罪行為はハナッからダメだよ。 飲酒運転で他人をひいてみな、被害者の一生を棒に振り、自分の一生も棒に振るから。 間もなく1000再生です、ご視聴ありがとうございます 厳島神社もよろしくお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年12月29日 02時07分06秒
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