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カテゴリ:雑記
誰かの誕生日を心安らかに祝えない日もある…。
なんとなく覚えてしまっているのは、別にプレゼントをあげる仲だったからではない。 時の記念日だし、会社の給料日だったからだろう。 携帯の番号を未だにそらで言えるのは、席空きの彼の呼び出し役だったからだろう。 当時私には恋人がいたし、彼は私の入社後に結婚している。 こんなところで言い訳しても仕方ないが、そのひとと私の間には何もなかった。 そして、5年の月日が流れ、恋人は会社を去り、同期や後輩も異動したり退社したり。 それでも、自分が辞めるとは何故か思わなかった。 上司である彼が、突然辞表を出すまでは…。 いや、辞表を出した後も、ひとりで毎日陰で泣きながら、彼の前では平静を装っていた。 とにかく、後をどうにかしなくてはと、苦しんでいた。 辞めるつもりは、なかった。 彼が退職した日の晩から、一睡も出来なくなった。 2日出社して、食べ物が喉を通らなくなり、喋り続けて止まらなくなり、3日目の朝倒れた。 消化しきれていなかった有休を療養にあてるという特別措置で、会社は待ってくれた。 家で悶々と過ごし、短期間に痩せ、一度総合病院に行き、内科から神経内科に回され、「自律神経失調症」の診断書を貰った。 いろいろと考えたが、管理部門にいただけに、こういう社員を会社は長く待てないこともよく承知しており、20日余り経ってから無作法とは知りつつ、社長宛にメールで辞意を伝えることにした。 結果的に、後追い退職のような形になって、会社の人がなんと思ったかは知らない。 彼の辞表提出後1ヶ月は、会社も受理するかどうかでもめていて、あまり表沙汰に出来ない状態で、何も話せなかった。その反動からか、ひとりになってから同僚や先輩にいろんなことをまくしたてた。途中で気が遠くなるほど何時間も喋り続けていた。 「あの時はキツネが憑いたかと思った」と随分経ってたら言われたくらいだ。 それからしばらく、私は元上司が会社を立ち上げて、私と元彼を迎え入れてくれるという妄想に長いこと囚われていた。 元いた会社のひとの声があちこちからした。 最初は好意的だったその声もいつしか罵声に変わった。 私のせいで会社が潰れる、債権者がうちにも押しかける、私が死ぬしかない…。 だんだん追い詰められていった。 総合病院には2回行っただけで 「退職を決めたら楽になりました」と言ったら呆れた顔をされ 「ではまた何かあったらおいで下さい」と言われてそのままになっていたのだが、日に日におかしくなる娘を見かねた両親が、3ヶ月後に精神保健センターに私を連れて行った。 両親はそこで病名を聞いたらしいが、実際私が気付いたのはもっとずっと後の話だ。 あれからもう4年。毎年苗字の変わらない私の賀状をどう見ているのかは知らないが、元上司からは毎年家族4人で屈託なく笑う写真つきの賀状がやってくる。 元彼とは元々賀状のやりとりはないので、もはや消息を知る術もない。 部下に対する責任を放棄して、家族を取った彼が、結果的に私の人生を一転させるきっかけを作ったと言えなくもない。 憎める相手であればよかったな、と苦笑するばかりだ。 それどころか、丁々発止とやりあったことや、下らないことで笑わせられたことや、残業中に聞いた四方山話などを思い出して、なんとなくおかしくなってしまう。 馬鹿馬鹿しくて、情けない。そしてただ懐かしい。 自分の気持ちのありかが解らなくて苦しみながら、一睡もせずに参加したcELEBRATION2004で、私は夢の中にいるようにぼんやりしていた。気付いたら、勝手で無謀な片想いが始まってしまった。 幸か不幸か、直接接することもない遠いひとなので、想いは一方通行で、玉砕することもなく、叶うこともまずない。だから変に哀しくて穏やかだ。 ひとに言えば、どう言葉を選んでも「今は仕方ないよね、早くいいひとが見つかればいいね」と憐れまれる。 赤ちゃんの映像を頬を緩ませながら見つめている両親を見ると胸が痛むけれど、ひょっとすると私はこのままずっとあの遠い遠いひとを想い続けて年老いるのかも知れない。 さっきご飯を食べたかどうか思い出せなくなっても、彼のうたを口ずさんでいるおばあちゃんになるのかも知れない。 それとも、10年くらい経ったら「そんな頃もあったなぁ」と笑っているのだろうか。 【メール便・送料210円】槇原敬之/Listen To The Music2(限定盤) ↑「TIME AFTER TIME」カバー曲収録アルバム。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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