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『印度式』生活

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2006.07.17
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カテゴリ:雑記
うちの電話は壁から生えてる(モジュラージャックがない状態)NTTレンタルのもの。
プッシュホンの出始めの機種だから、FAXはおろか、ナンバーディスプレイも留守録も保留もない。
無料で工事してもらえると言われたけど、神経質な母が散らかって収拾付かない家にひとが入るのを嫌う。
(エアコンと冷蔵庫は仕方ないので入れてもらったのだけど)
昼間から夕方のわけのわからない電話は、コール音の回数により無視。
事情を知っているひとは、長く鳴らすから、その場合は出る。

今日は私が昼夜逆転で起きていたら、6時頃電話が鳴った。
近くで寝ていた父がとって
「はぁ、えっ!そうですか。いつ…、ええ…。」

数日前、母方の大伯母(母の母の兄の嫁)が検査入院したという電話があったのは聞いていた。
我が家は祖父母を連続で亡くした時期があって、夜討ち朝駆け的な電話にかなり敏感になっていた頃もあったから、なんとなく内容は察しられた。

大伯父は確か私が小学生くらいの時に亡くなったし、その息子も数年前に亡くなった。
彼女は一人で暮らしていて、すぐ上の土地に大伯父方の妹にあたる大叔母(母の母の妹)が住んでいるのだが、ウマが合わず、ほとんど行き来はしていなかったらしい。
検査では特に異常はないと言うことで、家に帰されていたのだが、急に痛みがあったらしく、自分で救急車を呼んで、その音で大叔母が気付いたらしい。
連絡は大叔母からあって「喧嘩ばぁしょうったけど…」と泣いたりもしていたそうだが、何度かやりとりしているうちに落ち着いてきたのか「ほんならな!」と明るく電話を切られた、と母が苦笑していた。

確か私が小学生の高学年くらいの時、大伯母は癌の末期と診断され、手術をしたのだが、奇跡的に再発しなかったらしく、結局連れ合いも息子も(この息子が道楽息子で、これが後へ残ったらどうなるかと親戚一同ハラハラしていた)見送り、うちの母方の祖母と歳は同じくらいだが、祖母の方が先に亡くなってしまった。

年寄りが多いからいつ何が起きるか分からないとはいうものの、直系の者はもうすべて片付いてしまって、それなりに悲しみも癒えてきているので、たまにこういうことがあると、ああまだまだこれからなのだなぁと暗い気分になる。

父も母も兄弟は少ないから、私の代は「にいちゃんねえちゃん」と呼んで慕い、連絡を取り合うような親戚は少ない。
母方の祖父母に兄弟が多く、特に祖母は長女だったから、その妹とは歳が離れていたりして、うちの母から見れば自分の姉みたいなものだったようだ。
だから母は一人っ子だけれど、何かあればその「ねえちゃん」達に頼れる。

私は一人っ子の母を持つ一人娘で、母が祖父母を見送る姿を見ている。
祖母が亡くなったとき、祖父は入院していて、参列出来なかったので、二回とも母が喪主だった。
いろいろ思い出すと、自分の立場を考えて眠れなくなることもしばしばだ。

これを言うと母が悲しむので最近は言わないのだが。
私は結婚できないかもしれない。
孫の顔も見せてやれないかもしれない。
いつか親を見送るとき、隣に誰も立っていないかもしれない。

大伯母だって結婚はしたけれど、養女に行った先で養子を取るという複雑な家庭の事情があったし、養父母が先立ってからは離婚騒動もあり、決して幸せな結婚生活ではなく、息子にも先立たれ、その後一人で生きていたのだから、甘えたことは言えないけれど。

パン屋に勤めていた頃、割引券に住所を書いてご持参下さい、とチラシを配って回った。
普段付き合いもないのに、大叔母に頼って、近所を歩いた。亡くなった大伯母のところにも行った。
大叔母を嫌って、ノックしても出ないという大伯母が顔を出して、チラシを受け取ってくれ、後日連れ立ってパンを買いに来てくれた。
「あんた、まぁ、頑張られぇよ」

私は頑張れなかった。挨拶もまともにできないまま、実家に逃げ帰ってきた。
そして今、親の亡き後の自分の姿を思って鉛を飲んだような心地でいる。

葬儀には、うちの父だけが形だけ顔を出すことになったようだ。
本来なら諸々を取り仕切るはずの近い身内が誰もいないので、香典もご遠慮だし、あまり縁の薄いものが行っても却って迷惑になる…という雰囲気らしい。
血縁からすると母方だから、私はともかく母は参列すべきかとも思うが、体調も思わしくないし、婚儀なら私を代理に立てるが、葬儀はそうもいかないので行かなくて良いという。

会場はパン屋の入っている地元生協の会館で、店の真向かい。
なんだか複雑な気分。

今日は雷と雨がものすごくて、母がぽつんと
「○○さんが、泣きょうんじゃわ。」
と言った。
その後はこれまで何度も話した大伯母のドラ息子とか、親戚一同の悪口に流れていってしまったが…。

骨肉の争いに発展する種はないけれど、ひとりは不安だ。
祖父母が亡くなった時、私がいたことで両親の支えになれていたのかどうかは自信がないが、自分が同じ立場に立ったとき、連れ合いも子供もいない、ひとりの未来ばかりを想像している自分が侘しい。

とにかく両親には長く元気でいて欲しいけれど、別れは誰にでも必ずやってくる。
「たとえ雨降りでも晴天なり」と私は言えるだろうか。
「毎日ちゃんと生きた」と私は言えるだろうか。
そして手を合わせて見送れるだろうか。

母は言う。
「神様はようしとんじゃ、子供が心配なうちは親はどんなにかして生きるもんなんよ。」

「親を見送るのが辛いから、先に逝かせて欲しい」
そんな言葉で親を傷つけても平気なほど、心病んでいた時期。
「功名が辻」ではないけれど、
「どんな形でもいい、浮世の憂さからの解脱など出来ないひとでいい、生きていてくれさえすればいい、もしも殿が死ぬのなら私が先に行ってお迎えします。」
と言える強さがあれば、と思う。

見苦しくても、恰好悪くても、生きてこそ。
先のことを考えて苦しむのは、よそう。





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Last updated  2006.07.18 03:18:25
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