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子どもが戻ってきてからの主婦は多忙を極めた。
まず翌日、図書館に調べものをする用事があった。当然、子どもを連れて行ったが、子どもは図書館が主婦の仕事場と思ったという。 翌日は保育園等、諸手続きを行った。公立保育園は、月途中からの入園を認めないため、それまでの「つなぎ」も見つけなければならなかった。そこでその足でみつけたのが、赤ん坊の死亡事故で問題になった某園。マンションの一室にあり、その前を歩くと、外に出られない子ども達が顔だけ出している胸詰まる光景は主婦の気分をめいらせた。 主婦の母親は、一緒に住んで寝食を共にすること以外の協力はしてくれなかった。少なくとも元夫のもとにいれば、夫と夫の母親の二人で面倒を見ることになる。母親がこれでは、主婦の元に引き取ることがよかったかどうかも疑わしくなってしまう。それもわざわざ弁護士まで使って、だ。 子どもを奪還したらそれで終わりではなく、そこからどう育てるかが大切ではないのか。 その翌日は、子どもを区の温水プールに連れて行って遊ばせた。子どもをとられている間、主婦が子どもを連れて行くことを何度も夢想した所である。これだけで七ヶ月半の埋め合わせができるわけではないが、まずはここから、といったところだ。 帰り道、私たちが打ち合わせで何度も使っているチャンポンの店に来たが、主婦は我慢して通り過ぎた。 そのまた翌日、子どもにビデオを見せようとしたところ、ビデオが壊れたことに気がついた。団地から持ってきたものだが、すでに団地にあった頃から壊れていたのかもしれない。主婦は私のところに電話をよこした。 「ビデオのデッキが壊れてしまったので、量販店に連れて行って欲しいんだけど」 「車を出して欲しいのか」 「配達だといつになるかわからないし、持ち帰りにはちょっと重いし。申し訳ないんですけど」 「いいよ」 私は愛車、セフィーロで彼女のアパートに向かった。いよいよ子どもと会うわけだ。別に私がドキドキする必要はないのだが、意識しないといえば嘘になる。 今まで、私が元夫の子供じみた態度に腹を立てても、ギリギリのところでおおごとにせず止まってきたのは、この子どものことがあったからだ。大人になって経過を知ったときを斟酌したのだ。 といっても、別に私は子どものことをうらんでいるわけでもないし、大きくなってから事情を話して恩に着せようとも思ってもいない。写真でしか知らないが、何ともがんぜない坊やが、他人ながら見返りなしに愛おしく思えただけである。たったそれだけのことである。赤くあたたかい血の流れる人間なら当たり前の情ではないのか。 アパートにつき、ブザーを押すと奥から母子のバラバラな足音が聞こえ、それは玄関の前で止まった。ドアが開くと、正面にはさっそく坊やが仁王立ちしている。 「こんにちは」と私が言うと、 「こんにちは」と少しだけ微笑んで坊やは答えた。 顔は写真でみるよりも一回り太っているように感じた。あとで主婦が言うには、ババアの味付けで味の濃いものを食べ過ぎてむくんでいたらしい。ボサボサで多い髪は父親譲りか。少しイカった肩とちょんと突き出た腹は今も変わらない体型だ。 私は初対面で拒絶反応をされないことにちょっとだけホッとした。話によると、坊やは、男性を怖がりバスでも隣に座らないと聞いていたからだ。そして、まさか四歳児にとは思ったが、もし元夫が変なことを吹き込んでいたらという心配もあった。しかし、それはさすがに杞憂だった。 「お兄ちゃんが来たからビデオを買いに行こうね」 主婦が坊やに言うと、坊やは頷いて「どこに行くの」などと聞いていた。 主婦が坊やの上着を取りに行く間、私はこの子と歩きたくなって、「先行ってようね」と言って車に向かうことにした。主婦の住むアパートの前は、国道の裏道でバス通りへのバイパスになっており、車両の通行量が多かった。坊やは来て間もないのにそれをわきまえており、門の前で立ち止まって車がこないかどうかを確認していた。なかなかやるじゃないか。 私は、坊やの手をとって車を止めてある所まで歩いた。途中、「気をつけてな」という一言しか会話はなかったが、手をつなぐことも嫌がらずに歩いていた。車の前に来ると、私は「ちょっと待ってね」といいながらキーをさしてドアを開け、「こっち(前の座席)に乗る?」と聞いてみた。安全上、四歳児にそれは反則なのだが、反応を見たくなってしまったのだ。坊やは「えっ?」と戸惑いながらも、喜んでいるようだった。元夫はペーパーだったらしいが、どうやら、この子は車が好きらしい。行く先は歩いても行けるディスカウントショップなので、シートベルトを締めて徐行すれば何とかなる。今は子どもが王様だ。子どもが喜ぶのなら、それで行こうと思った。 店で、適当なデッキを選び、レジに向かうとき、主婦が小声で尋ねた。 「持ち合わせがないんだけど、お金、ある?」 私は、最初から息子奪還祝いで買ってあげようと思っていたが、主婦はそこまでしてくれなくていいと言った。 「一万円だけ貸してください。後日返しますから」 チャンポンも我慢する人から金なんか取れるか。 デッキを買ってから来た道を戻り、二人を降ろして私も車を降りると、主婦は「後は大丈夫」と私を制して坊やとアパートに戻っていった。デッキを買った坊やはすっかり上機嫌で、ゴジラの歌を歌いながら足取りも軽かった。二人がアパートに入るまでの後ろ姿を見届けてから、私は再び車に乗り込み、エンジンを吹かした。 季節は晩秋になっていた。加速する車のフロントガラスには幾度となく落ち葉がぶつかり、その都度弾かれていった。 ずいぶん色々あったし、また、これから先、どうなるかわからないが、無邪気な坊やの笑顔は何よりの収穫であり、また救いでもあった。 (第一部 おわり) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2003.05.05 09:03:38
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