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車には死の匂いがする。ゴダールの映画で感じたことだ。ゴダールは「映画とは現在進行形の死をとらえること」と言っていたか。冷たいであろう雨がパラパラと降り、時折霧が視界をわるくする峠を走りながら思い出す。
「乱暴と待機」を観た。音楽の力が強い。映画も面白かった。 4つのキャラクター。そのうち2つは閉じられている。他の二つは特異であり、独特の遠近法と執着を示すが、自由を感じる。 劇場では4人の「だれに、どの辺に共感するか」という「恋愛度調査」なるアンケート用紙が配られ、思い切り違和感があった。 共感するならば、作品にであって、作品から切り離された人物ではない。「恋愛観」であれ「恋愛感覚」であれ、他人と比較するようなものではない。 ある人物は複数の非連続的な線からなり、その線は人物であれ物であれ、別の何かとつながること、組み合うことによって線として成立している。スパイダーマンのように英雄的な線を伸ばす者もいれば、蜘蛛女につかまる者もいるだろう。いずれにせよ、そこには二者、というか二つのモノの差異があり、そこから始まる。 山根抜きに奈々瀬はいないが、奈々瀬抜きにあずさもいないのである。 奈々瀬に共感することは、山根やあずさ、番上を肯定することでもある。 伊藤計劃の「虐殺器官」に続いて「メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット」、村上龍の「歌うクジラ」、石井恭二の「正法眼蔵の世界」を読んでいる。 SF的なものについて、考えることを強いられる。 例えば、陰謀について。 陰謀1:バブル経済 加速度的に上昇させ、一気に、そしてまた長期的に下降させる。 陰謀2:ゲーム 創造的な力の低下。 陰謀3:携帯電話 生産的な力の低下。表現の貧困化。 陰謀4:ゆとり教育、週休二日制 労働の価値の低下。 陰謀5:ウォークマン 音楽を想起する力の低下。沈黙や静寂の奪取。 陰謀6:ある種の食品添加物 身体の力の低下。 陰謀7:教育費の増大 超少子化。 陰謀8:AV、●の氾濫 愛と●●において自由を創造する力の低下。 しかし、大きな陰謀が存在するとして、人がその影響を全く受けないのは難しい。抵抗の点を見つけ、線を延ばす以外にできることはない。 再び、反復について。 要するに、物語は反復である。ある組み合わせが繰り返し登場するから、物語となる。どんなに錯乱した登場人物であれ、繰り返し登場し、繰り返し錯乱するのだ。 私が指摘したいのは、単に、生は創造であり、組み合わせの反復により進むということだ。ある点がある点とどう結ばれるのか、ある線がある線とどうつながるのかは、あらかじめ決まっていはしない。その立場からは、世の中に誤った決定論的言説が多すぎると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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