9月16日(火)
パスポ-トの期限が来たので神戸へ切替に出かけた。
朝の内は雲があって傘の心配をしたが、10時発の神姫バスに乗ってからは晴れてきた。
11時過ぎに三宮にあるパスポ-ト申請事務所へ夫婦で入り、それぞれ手続きを行った。
その時とんでもない?偶発的な出来事があって頭を悩ませる結果となった。
自署したサインに余計な点が付いていた。
窓口の係員から呼び出しがあったが、この余計な点付き自署のこととは気がつかないから、係員女性からどうされますか、このままではパスポ-トへそのまま印刷されますよ・・・
と示唆されて、参った、参ったの心境。
結局、そのままでパスポ-トを作成願うこととして、一件落着?と相成ったが、イやもう(@_@)、ビックリだった。
改めて1から書類を書き換えることが大変な手間だと思ったので。
それにしても、何故微小な点が付いたか、不思議でしたね。
これまでパスポ-トの署名について、何らかの機会に改めて自署して比較されたことが無いので、万一そのような機会には点をつけるよう気をつけようと思ったからでした。
伊達政宗の花押の真贋事件を思い出した。
徳川幕府が発足してからも外様大名と幕府の関係は厳しい物があり、加藤清正、加藤嘉明、その他の大大名が次々に取り潰された中で、
ある書類に印された伊達政宗の花押(書き判とも言う)、今の俳優、スタ-のサインに似て、難しい作りになっている。
その書類を付き付けられた伊達政宗が開き直って、その花押は私のものではない、何故なら私の花押にはここに点がある。
その花押は偽物だ! 点が無いではないか。
うろ覚えだからその逆のことだったかもしれないが、兎も角自署の真贋に関して古今に例を見ない大事件であったと思われます。
この伊達政宗の花押事件は、幕府としてもこれ以上事件を大きくしたくない事情が幕府側にあってか、うやむやに終わってしまったらしい。
インタ-ネットで正宗の花押について調べましたら歴史城のタイトルのHPに冒頭正宗の花押はんこの記事が出ておりました。
特に御興味のある方はご覧下さい
なおまた、花押と書き判は厳密な意味では違いがあるかもしれませんが、と追い遠いご先祖様達が、草書体の名前から図案化していったものが書き判であり、花押であるぐらいの理解でよさそうです。
上記HP歴史城に表示されている正宗の花押はんこのデザインを拝見すると、なるほど点らしきものがあったので納得しました。
家内にこんな事件が昔あったんだよと説明しながら、自分のうかつさに思いが至ると少々情けなかった一日でした。
尚、今回は年齢を考えて5年の期限として申請しました。
素晴らしい植木箱
明治六年1月の神戸税関の建物を彫り込んだ植え木箱
この三宮界隈のみならず、神戸はいたるところきめ細かい配慮がされていて、何時出かけても素晴らしいと思いながら歩いております。
沢山の方々が三宮の街中に溢れているが、このようなきめ細かい工夫を味わってもらえないのが、いささか残念に思いました。