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カテゴリ:人生観
ある日、朝日新聞のアスパラクラブをめくっていたら、『天声新語』を発見。 「後期高齢者」と呼ばれる年齢が近づいてくると、昔の友人や同僚達との交流も薄らいでくる。自然の成り行きとはいえ寂しい。その孤独感を払拭してくれるのが趣味である。私の場合は囲碁▼碁会所に行くと、いろいろな人に出会えて面白い。だが、不愉快な思いをする人と葉、席料を払ってまで打ちたくないのが本音である。ル-ルやエチケットを無視する人。タバコを吸う人。やたら勝ちたがる人。落ち着きがなく、おしゃべり人。そんな人との私の対戦成績は極めて悪い。▼何故か、色々と想いを巡らしている内に気がついた。その原因は私が「人」を相手に碁を売っているからだ、と。そうではなく、「神」と打つように心がけなくてはならないのだ。 平素私自身の人生観の煮詰めみたいな部分にこの方も遭遇されているのだなと思いました。 今からおおよそ10年前、63歳の頃、仕事というストレスは溜まるが、いやおうなく様々な方々と付き合う機会が多い場面から、大部分の方々は晴耕雨読の世界へ張っていかざるを得ない場所に私もなって以来、どうしたら元気に活きていかれるかが課題だからです。 で、この方と似た体験としては、現在毎朝1時間前後武庫川べり5kmのウオ-キングと自転車での往復、並びに家庭菜園での手入れ、収穫をセットにして行っております。 その武庫川べりで様々な方と出会います▼すれ違った時挨拶をするのがエチケットとなっているので、おはよう、おはようございますなどと声をかけます。▼元気良く挨拶を返してくれる人もいれば、首を下げて無言で過ぎていくらしい方、ラジカセを聞きながらメ-ルを打ち続ける方など様々な出会いだ▼全く無言のまま過ぎていかれる方が半数近くいるように思われる▼無言の方に対しては、折角ご挨拶したのに!と、自分の胸が思っていしまう▼『天声新語』の投稿者ではないが、挨拶の言葉を掛けて元気が出るのは自分であって、人様から挨拶が返ってこないからといって、いちいち反応するのは可笑しい▼自分が武庫川を元気良く、楽しく歩ける為にやっているのだから相手の反応に左右されないであいさつをげんきにつづけよう▼ 70歳台を元気に活きていくのはなかなか努力がいることで、高齢者大学のお仲間、市民センタ-の趣味の教室の仲間、学友の皆さんと元気で交友が続くのには自分自身が元気な心身を維持できることが大切なように思われます。 『天声新語』の投稿者は、その文章の締めくくりで素晴らしい文章でしめくくっておあれました。 ・・・
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最終更新日
2008年10月23日 16時13分09秒
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