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3月22日(日) そば道場の横に、蕎麦専門の茶店やトイレ、広い部屋があり、今は鉢植えの椿を沢山展示しておられました。 その部屋とトイレの間に、狙いは分りませんが、壁ぎはに農機具が置かれていたり、壁に掛けておられました。
写真では分りにくいでしょうが、上部に麦や樅、蕎麦などでごみと混じっているものを入れて、それを下に落としつつ、風で軽いゴミを飛ばして選別する装置です。
秋、稲を刈り、乾燥後わらから籾を外す作業などに利用されました。
現在の田上は、稲株が整然と並んでおりませんが、昔は田上の定規などを大勢で持って植えたので、この様な草取り機の利用が可能でした。 私も自慢ではありませんが、かなりこの草取り機を使っての農作業は致しました。 現在の方々にこれらの器具が以下に大切であったかを伝えてもあまり意味を認めてもらえそうにもありませんが、少なくとも1945年(昭和20年)以降でも、我々の祖先が日本人を養うのにこれらの器具が重要な役割を果たした事は、いかに素人の私であってもその時代に生きたものの1人として分ります。 永澤寺の関係者も、ここに残しているのはそんな意味で、処置に困って、しかしここであれば邪魔でもないから保存されているものと思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月23日 16時24分17秒
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