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テーマ:暮らしを楽しむ(388299)
カテゴリ:観光・旅行
標題通りのツア-に夫婦で参加致しました。
鳥取砂丘を目の前にした会館の2階座敷で、沢山の観光客と共にフルコ-スに挑みました。 このブログをご覧の皆様方は現地まで出かけなくてもカニ料理は、例えば大阪市内などで食べ放題〇〇〇〇円などとの呼び声の商品を味わった経験を豊富にお持ちだと思いますが、 今回のバスツア-企画とコ-ス 2. 賀露港(鳥取市内)の新鮮な海の幸お買い物、本格カニ汁の賞味 3. 鳥取砂丘 カニフルコ-スのお昼めし 4. 智頭宿の散策 石谷家の見物など 5. ズワイガニ、いくら、数の子、その他沢山のお土産付き 朝8時過ぎに三田駅前を出て、夕方6時ごろ三田駅前到着の予定。実際もその通りでした 実際の天候: 薄ら寒い曇り空で、鳥取砂丘ではみぞれ交じりでした。 我家は前述の通り、カニのフルコ-スには全くなれていなかったので、この日のフルコ-スのカニの味が評判通りか、そうでないかの判定はできませんでしが、お蔭様で楽しく取り組ませてもらいました。 鳥取砂丘見物: 智頭宿の話: インタ-ネットでの勉強や観光バスの添乗員さんのお話などから大分理解が進みましたが、この町が中国山脈の中における中継基地というか人物共にここが発展した歴史が分り驚きました。 あの江戸時代に生じた荒木又右衛門と渡辺数馬のあの有名な伊賀上野の『鍵屋に辻』の決闘を経て荒木又右衛門が引き取られたのが鳥取池田藩でしたが、そのお殿様が参勤交代で江戸に向かう時の最初の宿泊地がこの智頭町で、それがきっかけになってこの町が発展を遂げたらしい。 この町の町人の束ねをしたのが石谷家で代々栄えた御家で、屋敷地が3000坪あったらしい。
この石谷家はもとの屋号を”塩屋”と号したとある。 この石谷家の場合も名字帯刀を許される前の時代は、ただの町人で苗字が無いので塩屋の屋号が他を区別する苗字的役割だったかもしれない。 街中での注目すべき事柄; 大黒柱が凄かったし、棟げたの巨大さも土間から屋根裏まで素通しで見られるのでよく分りました。 町の通りにも興味を引く点が幾つかありました。 杉玉 1 杉玉 2 応用? 杉玉 3 杉玉工房 杉玉の手作り体験がお土産になっているらしい。少し(@_@)。 この町の、ある意味ではもっとも興味を引く歴史的場所と言えば、諏訪神社で町の通りから言って、かなり高く山の中腹にあるらしい。 その尊崇を受けている象徴として示されているのがお柱祭りの4本の木組みでした。 インタ-ネットでの勉強によると; 神社のこま犬がどんな形か多いに興味があったが、時間の関係で残念な事に行けなかった。松江の石工の産物かどうか? 通りを歩いていてもう一つ興味を引いたのが看板の言葉でした。 【天のない酒造り】 どうしても理解できないのでインタ-ネットで調べたおしたら幾分理解できた。 『みけん・み~すけのやさしい技術士ブログ』など沢山の解説がありましたが、そもそも元杜氏の酒造りには、もうこれ以上することが無いなんて事は無い、天が無い・・・などの座右の銘から引用されたとか。 知らなかったのでこのお酒をお土産に買わなかったのが残念でした。 今回の旅で(@_@)した事が後二つ; 1. 河原町のお城 別名 若鮎城 2. 梨の開発商品二つ これらの二つは最初に立ち寄ったあわくらんどで写真に収めたものですが、20世紀梨の後継商品としての開発でしょうか。 実は、高知には新高梨(新潟と高知の梨の交配物)があり、熊本にも別名で大きな梨で、美味しい梨があり、毎年両方を味わっているので、改めて各地における模索に接する事になりました。 僅か1日の旅でしたが、(大)満足の旅でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年12月22日 11時26分38秒
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