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三田のいのしし 見て歩き日記

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2009年12月15日
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カテゴリ:観光・旅行

標題通りのツア-に夫婦で参加致しました。


まずはカニフルコ-スの実績です。カニフルコ-ス
カニフルコ-ス 1人前 隣との境が分りづらいぐらいの並び方でした。
真ん中にカニシュウマイでしょうか、蒸し器が乗っかった物が前との境界線上にあるのが面白い。
中に2個入っていて、例えば1個私、残りの1個は家内が食べました。

鳥取砂丘を目の前にした会館の2階座敷で、沢山の観光客と共にフルコ-スに挑みました。

このブログをご覧の皆様方は現地まで出かけなくてもカニ料理は、例えば大阪市内などで食べ放題〇〇〇〇円などとの呼び声の商品を味わった経験を豊富にお持ちだと思いますが、
我が夫婦は二人揃って食べに出かけたのはこれが初めてで、とても綺麗なスマ-トな食べ方には程遠い状態でした。
やはり左右に同行者がいるこの会食ですから、四方のざわめきも味の内で、楽しい時間でした。

今回のバスツア-企画とコ-ス
1. あわくらんど(粟倉)のトイレ休暇と買い物下見・・・行きと帰り

2. 賀露港(鳥取市内)の新鮮な海の幸お買い物、本格カニ汁の賞味

3. 鳥取砂丘 カニフルコ-スのお昼めし

4. 智頭宿の散策 石谷家の見物など

5. ズワイガニ、いくら、数の子、その他沢山のお土産付き

朝8時過ぎに三田駅前を出て、夕方6時ごろ三田駅前到着の予定。実際もその通りでした

実際の天候: 薄ら寒い曇り空で、鳥取砂丘ではみぞれ交じりでした。

我家は前述の通り、カニのフルコ-スには全くなれていなかったので、この日のフルコ-スのカニの味が評判通りか、そうでないかの判定はできませんでしが、お蔭様で楽しく取り組ませてもらいました。

鳥取砂丘見物:
砂丘
みぞれが砂丘に登る道や階段にあり、曇天の空と共に観光客の足をそらす結果となっておりました。

智頭宿の話:
因幡街道、智頭町、智頭急行電車などほぼ予備知識がゼロだった。
鳥取砂丘などへ向かうバスの車窓から智頭町を流れる千代川の川岸に桜並木、それもかなりの大木が続いているのを眺めながら通過しましたので、そこそこの町であることは理解出来ておりましたが、普段鳥取へ向かうコ-スは別にあるので、今回はいい機会となりました。
1. 後述の如く蒙古来襲の時代にこの辺り猛火にあい、火事封じとして信州の諏訪神社
     の神様を分霊させてもらった歴史があったらしく、昔から発展していたらしい。
2. 今回見学できなかったが諏訪酒造と言って大変愛好家の要る良いお酒があるらしい

インタ-ネットでの勉強や観光バスの添乗員さんのお話などから大分理解が進みましたが、この町が中国山脈の中における中継基地というか人物共にここが発展した歴史が分り驚きました。

あの江戸時代に生じた荒木又右衛門と渡辺数馬のあの有名な伊賀上野の『鍵屋に辻』の決闘を経て荒木又右衛門が引き取られたのが鳥取池田藩でしたが、そのお殿様が参勤交代で江戸に向かう時の最初の宿泊地がこの智頭町で、それがきっかけになってこの町が発展を遂げたらしい。

この町の町人の束ねをしたのが石谷家で代々栄えた御家で、屋敷地が3000坪あったらしい。
とてもこのお屋敷の全貌などを写真で見ていただくことなど素人には無理で、そのごく一部を載せます。
庭
立派な庭のごく一部

欄間 隠岐の島
名工が彫刻したと言う隠岐の島 大山を彫刻した欄間が横にあった。

この石谷家はもとの屋号を”塩屋”と号したとある。
信州に塩尻の地名があり、氏名にも見られますが、多分ご先祖様からのお仕事に塩の取り扱いがあったものと思われます。

余談ながら我家は”かねひさ”と言う屋号を持ち、祖父の弟の所は”やまひさ”を屋号としており、焼き判などで鍬や鎌の柄などにそれが焼き付けられました。
江戸時代の名字帯刀が許される、許されないと言う観点とは大分違うが、人分(にんぶ-共同作業)などで大変貴重な作業道具がまぎれて生じるトラブル事を防ぐ意味あいで屋号を私的に定めたのではないかというのが私の推定ですが、屋号の歴史の面白いとおもいます。
母屋・部屋という表現もありました。(本家、分家)
一軒の家の屋敷構えの上で、母屋・部屋の表現もあります。
余談が長くなりました。

この石谷家の場合も名字帯刀を許される前の時代は、ただの町人で苗字が無いので塩屋の屋号が他を区別する苗字的役割だったかもしれない。
ともかく3000坪の屋敷地を持つまでに栄えたこのお家は、あらゆる面でこの地方の代表だった事でしょうね。

街中での注目すべき事柄; 大黒柱が凄かったし、棟げたの巨大さも土間から屋根裏まで素通しで見られるのでよく分りました。

町の通りにも興味を引く点が幾つかありました。

杉玉 1
杉玉-1
他所の地域では、酒蔵が新酒が出来ましたという印として軒先に付ける杉玉がこの町では沢山のお家で軒先にこんなデザインでぶら下がっておりました。

杉玉 2 応用?
杉玉-2
フクロウさんでしょうか。 まさかおばけ?

杉玉 3 杉玉工房
杉玉工房
杉玉工房

杉玉の手作り体験がお土産になっているらしい。少し(@_@)。
この町は面積の93%が森林であり、杉の美林が有名らしいのでその杉の小枝で杉玉を作りお土産にしているとしたら、なかなか出来たアイディアだと思いました。
写真の杉の小枝も緑が鮮やかですね。

この町の、ある意味ではもっとも興味を引く歴史的場所と言えば、諏訪神社で町の通りから言って、かなり高く山の中腹にあるらしい。
1278年創建と言う事から言っても800年以上の歴史があるが、今回の如きバスツア-では時間の制約があり、立ち寄りが難しい。

その尊崇を受けている象徴として示されているのがお柱祭りの4本の木組みでした。
諏訪神社の6年に1度の【お柱祭り】とそのお柱 4本と飾り
お柱

諏訪神社の6年に一度の大祭の使われる”お柱” 
この展示品の写真では分りずらいが4本だそうだ。

インタ-ネットでの勉強によると;
1. 1278年蒙古来襲の頃、信州諏訪の諏訪神社から分霊された神社であって、1782
     年から諏訪神社に倣って6年に1度、杉の木を4本、合計1.5トンもあるものを数百人
     の若者が街中を練り歩いた後、高い位置にある神社に担ぎ上げて後、神社の4隅に
     立てる神事。
   信州では高い所から巨木を投げ落とす・・・その点に違いがあるが・・・
2. 800年以上の歴史がこの町にあった証拠みたいな物で凄いと思った。

神社のこま犬がどんな形か多いに興味があったが、時間の関係で残念な事に行けなかった。松江の石工の産物かどうか?

通りを歩いていてもう一つ興味を引いたのが看板の言葉でした。

天のない酒造り
看板
杉玉の飾りのある看板  天の無い酒造り 諏訪泉  この言葉が気になった。

どうしても理解できないのでインタ-ネットで調べたおしたら幾分理解できた。

『みけん・み~すけのやさしい技術士ブログ』など沢山の解説がありましたが、そもそも元杜氏の酒造りには、もうこれ以上することが無いなんて事は無い、天が無い・・・などの座右の銘から引用されたとか。

知らなかったのでこのお酒をお土産に買わなかったのが残念でした。

今回の旅で(@_@)した事が後二つ;

1. 河原町のお城 別名 若鮎城
    若鮎城
  河原町の丘の中腹に忽然と聳えるお城で、ガイドさんも知らなかったが、豊臣秀吉に
    攻め落とされたお城の跡に、現代版のお城を再現して観光、町民のシンボルとし 
    て・・・

2. 梨の開発商品二つ
    梨の新製品-1
    ブランド 「あたご」

  梨の新製品-2
   新製品「王秋」

これらの二つは最初に立ち寄ったあわくらんどで写真に収めたものですが、20世紀梨の後継商品としての開発でしょうか。

実は、高知には新高梨(新潟と高知の梨の交配物)があり、熊本にも別名で大きな梨で、美味しい梨があり、毎年両方を味わっているので、改めて各地における模索に接する事になりました。

僅か1日の旅でしたが、(大)満足の旅でした。






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最終更新日  2009年12月22日 11時26分38秒
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