1月14日(木) 16から 三田市 三輪神社境内にて
いつも恒例の友が丘地区松ヶ丘小学校校庭で行われるとんど焼き行事を今年は11日(月)成人式の日でしたが、開催時間を間違えて参加しぞびれました。
そこで14日(木)に行われる三輪神社のとんど焼きに玄関先の正月の飾りを持って参加させてもらいました。
早朝から厳しい寒さと烈風で心配されましたが、世話役さんが風の収まり具合を見計らいながら始めてくれました。
準備段階の姿
盛んに燃え上がりだした姿
衰えたりと言えども風が強すぎるので世話役さんは慎重にお飾りを投入されて、あまり沢山灰が空中に飛び上がらないように、この程度の火勢でした。
平日でありお子さん方の参加もないので人ではさほど多くは無いが、それでも火の回りに人が集まり賑やかになった様子。
右端の男性は30歳代でしたが、とんど焼きが珍しいとのことだったので、私も加わってとんど焼きの歴史と土地土地の風習などを説明したことでした。
インタ-ネット検索をするともっとよく分りますよと私が情報を付け加え、とんど焼きか左義長、あるいはさぎちょうで検索したら楽しめますよと話した事でした。
日本の若者か中国や韓国の方かもしれませんね。
とんど焼きの風習
鏡餅を焼いている方と割りだけに挟んだ餅。
私が帰りに通りかかった道路でこの方とご婦人方がいくらか焦げた餅の端からちぎって食べながらおしゃべり中でした。
今年のご健康・息災を祈りながらの行いだと思われます。
私がお飾りの灰を入れ物に入れた所
この行事に参加された方はほとんどこのような形で入れ物と火箸を持参されており、順次灰を入れておりました。
少なくとも当地の風習としては、家の四隅にこの灰を置き家内安全と息災を祈る習慣のようで、あまり難しく考えないで私も家の四隅と玄関先などへ灰を置きました。
11日に食べた餅入りぜんざい
この日、松ヶ丘小学校のどんと焼きに参加と、いわば我家としてのこの行事の打ち上げとしてこのぜんざいを家内が用意してくれたらしいが、前述の通り時間を間違えた為に11日はこのぜんざいを食べるだけのお粗末さでした。
”とんど焼き”のおさらい
1. とんど焼きは平安時代からのもので、当初宮中行事であったそうだ。
2. 名前の由来としては、尊い物を燃やすと言うので”とほど焼き”と表現されていたが、
どんどん燃やす事からとんど焼きと変化したようだ。
3. 昔は1月15日に行われて”とんど正月”とも言われたそうだ。
4. ”左義長”とも言われます。
これは平安時代に3本の毬杖(ぎちょう)を束ねて竹と共に立てその上に扇子などを
載せて燃やすところから三毬杖(さんぎちょう)と言われたのが変化して左義長と
なったそうだ。
5. とんど焼き、どんと焼き、どんど焼き、など考えている内に頭がくらくらしそうな土地
土地の名称が残っているらしい。
私の家は四国・高知県四万十町の在ですが、昔両親が元気な頃は、やはり1月15日に家の前の田んぼへ門のしめ縄やその他のお飾りと餅を持って行き、一通りこれらを燃やした後その残り火で餅を焼いて、
”これを食べると1年間息災だから食べなさい”
と言って餅を渡してくれるのでふうふう言いながらこの有難い餅を食べた思い出がくっきりと残っております。
2009年は孫が遊びに来てくれたので、良き思い出になることを願って一緒にとんど焼きに参加。
時間をもてあまして逆上がりの練習機を使って遊んでいる孫の姫