2月23日(火)
氷見・能登半島・金澤の旅も終盤に差し掛かり、夕暮れに加賀温泉駅に着いて打ち上げとなりました。
巌門
この巌門は、能登金剛と名づけられた能登半島の景勝地約30kmの一つでご覧の通り波によってあけられた洞窟が名所らしい。
松本清張先生の小説『ゼロの焦点』のロケ地でもあるそうだ。
ここもブログ、hpなどに優れた作品が有りそうですので、さらに興味のある方は、そちらをご覧ください
その一例として、「能登金剛 巌門 巌門洞窟」
江戸時代、北前船が難波と北海道を往復する際、この能登半島沿いに移動するので、その停泊地が港として栄え、その痕跡も多々あるとのことだった。
千里浜
千里浜はもともとゴミ・塵の塵の濱の意味で『ちりはま』と発音されたらしい。
それは日本の対岸の国々から流れて来るゴミがあまりにも多いので、自然とこんな呼び方になった。
近年それが美しい漢字の千里浜に置き換えられた。
バスガイドさんのご説明によると・・・
個人的には昭和50年代、今から言えば30年ぐらい前に会社の部門慰安会で当地に1泊して、土曜日は水泳と会食、日曜日は希望者はゴルフと言う旅をしたことが思い出として残っております。
当時リンボ-ダンスと言ったと思いますが、一定の高さのバ-の下を上体をそらせながらくぐる競争が大流行で、この砂浜は絶好の場所だったので我々もやりました。
この濱は車が通れる事で有名ですが、バスガイドさんのご説明の中にその車が走れる距離のご説明があったものの耳の悪い私が聞き漏らしてしまった。
インタ-ネット検索で調べてみましたが、皆さんそんな事は興味が無いらしくて、随分沢山のブログ、HPが有りましたが見つけることが出来ませんでした。
今も相変わらず、某国の浮遊物やその他のゴミが見られましたが、全体としての印象は上の写真の如く綺麗な感じでした。
金澤市にて
ひがし茶屋町・・・西の茶屋町もあるらしい。
べにがら格子の町屋
この歴史溢れる街を散策していると店の表その物がなかなか良い喫茶店があって家内と二人で、最初はお抹茶デモ頂くかなと呟きながら入りました。
カウンタ-の前に座っているとおぜんざいが食べたい雰囲気になってしまった。
2階屋でしたが、いい雰囲気のお店で大満足で出てきました。
お茶屋としての営業が現在もあるのかどうかとか、この通りの現在の実際は分りませんが、非常に綺麗の姿で保たれておりました。
このひがし町屋の事をもっと知りたいと思ってインタ-ネット検索をしていたら、素晴らしいブログに出くわして圧倒されました。
「金澤 ひがし茶屋町 写真に魅せられて」
このひがし茶屋町に興味のある方はこのブログを一度ご覧下さい。
写真が素晴らしい。
私の写真は記事の参考的な添え物と自覚していても、その迫力の差に驚かされます。
コ-ルドパ-マ
この茶屋町に入り口にある美容室で、昔ながらのコ-ルドパ-マが看板になっているので、観光客を載せてきたタクシ-の運転手さんが、乗客に解説しているのを小耳に挟んで撮影できた写真です。
私にはコ-ルドパ-マが、現代では古典的な意味合しかないらしいことがわかりませんでしたが、もうそんな髪の整え方はないらしい。
或いはこのお店も観光物件?で、営業はされてないかもしれませんね。
金箔の芸術
金箔は、金のシ-トを1mm厚の10000分の1mm厚みまで叩いて薄くして、それを貼り付ける技術だそうで、今ではこの金澤にしかその技術、企業が残っていないとか。
箔屋さんの店内で実際作業をしている様を何の隠蔽も無いまま公開されている姿をジックリ見せてもらいました。
すごい!
金箔製五重塔 これは多分売り物ではなくて技術の象徴としての展示品だと思います。
写真を写しても良いとか駄目とか情報が混乱下ので、この程度の製品(売り物)しか紹介できませんが、綺麗でしかも意外に、そんなに高くはなかったですよ。
「きんつば」がおいしい
金箔の箔屋さんやひがし茶屋町に近いバス停の側にあるお菓子の田中屋さん
きんつばが美味しいとバスガイドさん車内で案内したらしい。
すると
女性達の体から電光がビリビリと走ったらしい。
ひがし茶屋町の見物が終った後、申し合わせもないのに三々五々この中田屋さんへきんつばを買いに行っている姿が見られました。
中田屋さんのHPからお借りしました。
勿論我家もいそいそと買いに寄りました。
今も時々のおやつとして楽しんでおります。
加賀温泉駅へ着いて待合室にある売店の棚を見たら、金澤のきんつばが沢山並んでおりました。
どうやら金澤はお菓子の美味しい街でありと感じました。
ブリのしゃぶしゃぶを食べに行く?・・・と家内から声が掛かった後もいろいろな事情で申し込むかどうか迷いましたが、結果的に氷見からのと鉄道、輪島、巌門、千里浜、金澤と観光が出来て、沢山の出会いがありましたので大満足の2日間でした。