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三田のいのしし 見て歩き日記

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2010年03月14日
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カテゴリ:観光・旅行

事前予告の通り、2月25日(木)に三田市友が丘”ふれあい”ご一行様23名が中型のバスで城山運動公園下駐車場から出発して、同じ兵庫県内のたつの市室津港めぐりと同じたつの市内にある綾部山梅林を楽しみました。

たつの市は”揖保の糸そうめん”が大変有名であり、江戸時代は脇坂家が大名で、おおよそ5万石であったかと思います。
ついでに、江戸時代忠臣蔵で有名な赤穂藩の城受け取りの役目も、確かこの脇坂家が行ったと思いますが、地理的にも赤穂と竜野は隣り合わせでしたから当然かもしれませんね。
揖保川の水、地元の麦、赤穂の塩がそうめんを特産品として生み出した力でもあったそうです。
又、三木露風作詞 山田耕筰作曲の童謡 ”赤トンボ” が生まれた土地としても有名でありますね。
(1921年作詞、1927年作曲)

ひょっとして兵庫県を保存じない方もいらっしゃるらしい現代ですから、地理的に言えば岡山県との県境に近い地域でたつのし市の1部が瀬戸内海に接しております。
そしてお隣が赤穂市で、これも海に面しております。
そのたつの市で、瀬戸内海の海際で最も知られているのが”室津”だと思われます。

さて、幸い雨が降らなくてよかった1日だった。

室津の港にて
室津の港
室津の港

室津の港が古代から近代まで貴重な存在であった背景には、昔、夜間航行が不可能であった時代に、岡山県の寄航地”牛窓”港を出て、大阪へ向かう場合、次の港がこの室津であったかと思われます。
また、風が強くて天候不良の際、安全に船を保護するのにもこの室津の如く、賀茂神社が有る突端の内懐がえぐれ込んでいる場所が港として栄えたのは至極当然の結果であったと思われます。

又、正確には分りませんが地形的に見て、小さな突端を持つ囲われた海が昔の船を風から護るだけでなく、ひょっとして海賊からも護るのに非常に安全であったかと大胆な推測であります。
広島県の鞆の浦が有名な上にも有名ですが、この港の歴史を保存している二つの資料館などを拝見すると、兵庫県あるいはたつの市は宣伝べた?・・・だなあ
などと余計な脱線ですが、(@_@)仰天でありました。

1. たつの市立室津海駅館の見学にて驚いた事
    1-1 廻船の寄航と廻船の運営
      この建物の持ち主【豪商嶋屋】の持ち船や北前船などの寄航地として、この港が
          栄えた印として遺物が数々展示されていました。
          その一つ: 身欠きにしん
      身欠きにしん
      身欠きにしん(写真の右側に有って紐で束ねられた品物)
          左側に有る物は身欠きにしんを取り去った骨などが”羽鰊はにしん”と呼ばれて
          肥料などに利用されたそうだ。
  

  1-2 朝鮮通信使の宿泊地としての役割とその際の食事の一部
      朝鮮通信使の食事
      朝鮮通信使の要求に応じて供された食べ物
      解説者のお話を正確に聞けてないので、憶測による見方は避けますが、なんと
          も奇妙で、しかし、それでいたデザイン的にバランスの取れた配置、そんな展示
          物を拝見して驚かない方が不思議と言う物でしょうね。
          何時の日か再訪してその辺についてお聞きしたい心境であります。

1-3 大名の宿泊或いは上陸地としての役割とその食事の見本      大名の食事
大名のお食事 
        ご飯のほかは、いわゆる1汁2采か。
         朝鮮通信使の展示物に比べるとかなり質素であったようですね。

    1-4 江戸参府
        オランダは毎年江戸幕府へ通商御礼の為参府に必要があり,この港へも立
              ち寄り、その記録が資料として残されているようでした。

この他にも貴重な資料が沢山展示されておりましたが、豪商嶋屋の家屋をそのまま転用しての展示である為、天井が低い建物でした。
照明がその低い天井にある為、その照明が展示物にずばり重なっており、写真が旨く撮れなかったのが残念でした。

2. 室津民俗館
   屋号を『魚屋』といった豪商豊野家の遺構を利用した物です。

   2-1 駕籠(かご)
           駕籠
      かご

    2-2 穴子獲りの道具
      あなごとり
      穴子獲りの竹製道具

      余談ながら、この穴子獲りの道具は入り口も竹べらで編まれていて、一度穴子
           が中に張ったら2度と外へは出られない仕組みかと思います。
      真に大胆な推測ですが、私は土佐、高知県の四万十町の出身ですが、子供の
           頃は、この写真とほぼ同じ竹製のうなぎ獲りの道具を自分で造って、その中にミ
           ミズや小魚を切った物を入れて置き、小川や用水路のここと言う所に仕掛ける
           事が夏の夕方の日課でしたので、以上のような推測をしている次第です。
           勿論、今でも四万十川の流域では天然うなぎの捕獲にこれと同じ構造の道具
           が使用されている事がテレビの番組などで見られますね。

これら二つの資料館そのものが見物の対象であり、庭なども含めて観賞させて頂きましたが、所感は失礼します。

小さな半島の如き地形の中にある市街地で、その案内図を拝見しますとなんとこの小さな町にお寺さんが5つもあり賀茂神社と言う京都も上賀茂、下賀茂神社と濃い血縁関係にあると想像される神社があるなど本当に歴史の色が濃い町だと理解できます。

その意味で、見ただけなのであまりご紹介も出来ませんが、数多くの本陣や”姫路藩御茶屋跡”などの標識が道路沿いに埋め込まれていて、踏み込んで調べたらこれまた面白い情報がありそうでした。
ゆっくり探訪できる方はお尋ねください。
例えば姫路藩御茶屋とあるは、姫路藩の外交接待場所であって、いわゆる御茶屋ではなさそうでした。

3. 牡蠣の養殖とその剥き身作業・・・我々の試食先
   剥き身作業
   牡蠣の剥き身作業風景

   お土産として生牡蠣のから付きを買って帰りましたが、それもこれもこの会社で焼き
     牡蠣を試食させて頂き、大変美味しかったことが決めてでありました。
     本当に美味しかった!

4. ”まるよし”でのお昼飯
     瀬戸内海の海の美味しい料理とご飯で嬉しい一時でした。

海沿いの狭い範囲の観察だけだから室津の事が分ったなんて口が裂けても言えませんが、訪問すればするほど面白い事に接する事になりそうでした。
室津の方々もいろいろ教えて下さい。

なおまた、私個人の趣味として、マンホ-ル蓋と狛犬探しを行いましたが、賀茂神社へは時間切れで訪問できませんでしたが、マンホ-ル蓋はこれらの資料館の前の道路に数箇所ありましたので撮影できました。別途ご覧頂きます。






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最終更新日  2010年03月15日 16時51分52秒
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