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三田のいのしし 見て歩き日記

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2010年05月06日
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カテゴリ:観光・旅行

4月22日夜、盛岡市に入り23日の朝盛岡から角館に向かった。
今回の経路は;
盛岡→角館→秋田→弘前→五所川原→弘前→青森→八戸→東京

日時を無視して行程図を示せば以上の通りでしがが、概ね平坦な耕作地とその果てに高い山がある・・・これが東北の概念図であろうかと思いました。
フルム-ンの旅とてグリ-ン車しかも指定席とあってゆったりとした気分で窓外の景色を眺める気持ちにもゆとりがありましたが、それでもどうした事でしょうか
  ほとんど傾斜を感じさせない田畑がどこまでも続いておりました。

私の郷里高知県の四万十町はその辺りでは平坦な土地があり米作地帯ですが、この東北の農地に比べたらまるで猫の額。
以下の写真は、昔我家が現在の四万十町に移住する前に済んでいたとの言い伝えのある四国山脈の津野町の山上の段々畑で、勿論現在の姿です
津野町の段々畑
この畑の麓に小川が流れその縁に田んぼが営まれておるはずです。
むかしあの坂本龍馬が土佐藩を脱走して走った山道はこのあたりでした。


人手の少ない昔、米を作る手段としてはこのような地形が有利な所であったと理解してきました。
つまり少し川上の小川から水を引けば田んぼと成り、米が作れたのです。

今、こうして盛岡を出発して汽車の向かう所を車窓からゆったり眺めると緩やかな田んぼで、用水路についてあまり見分けがつけられなかったというのが正直な所でした。
そこで考えてみましたが、秋田の鳥海山、岩手の岩手山、青森県のお岩木山などその多くは平地の縁から聳え立っているように見えました。

これ等の高い、高い山が水を抱えゆっくりと流れ落ちてきて、格段の用水路工事をしなくても各地の田んぼに水を供給できる仕組みになっているのではないか。

こんな広大な平地を田んぼにする場合に、豊富な水が無く、大きな工事を必要とする場合は、昔の時代であればそこに大きな武士の集団が成立して人手を確保できた場合のみ大規模な耕地が成立したのではないか・・・単純な推論ですが・・・
この地方の成り立ちについて全くの門外漢が何を言うかと一喝されそうですが、昔々損な大きな武家集団がこの地方に居たのでしょうか。
それとも水の取り込みが容易な為に余り大きな集団行為を必要とはしなかったか

今回の旅で眺めてみてもどこも平均的に水路が目立たず、それでいて田んぼが多い原因は、大本は、大きな山からゆったり流れ出る水の流れにある、そんな結論付けをして各地の高い山と耕作地を眺めて通過した事でした。

東北の豊かな耕作地と用水の関係に詳しい方がいらっしゃいましたら、またそんな資料がありましたらお教えくださると助かります。






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最終更新日  2010年05月06日 15時34分16秒
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