今回、関西を出る前から家人が楽しみにしていたのは、五所川原市の立佞武多の館訪問であり、弘前市では津軽藩ねぷた村と山車展示館でした。
仙台の七夕祭りの派手な風景を知っている私も青森県のねぷたの行事は新聞やテレビなどで見て、秋田の竿灯祭り、山形の花笠踊りと並んでそのお祭りのさ中に1度は行って見たい気持ちを持ち続けておりますから、立佞武多の展示品であっても是非見てみたい気持ちは家人と同じでした。
今回、桜の開花が大幅に遅れて花見は出来ませんでしたが、こちらに来て良かったと満足して帰れたのは、極端な事を言えば五所川原市の立佞武多の館を訪ねることが出来て、その威容の迫力と素晴らしさに生で接触できたからでした。
(福井県の笏谷石狛犬が来た前船に載せられてはるばるこの弘前の弘前八幡宮などを護っている姿に接した感動も凄く大きいものがありましたが、観光の流れとは別ですのでここでは外しました)
弘前市の津軽ねぷた村は津軽三味線の生演奏を見聞きしながらの観賞でしたが、五所川原市の立佞武多の舘を見学していたので、どうしても比較することになり、やや気の毒な感じがしました。
山車展示館は本当に地味で、お祭りの興奮は、津軽ねぷた村に任せてます! って感じ
それほど静かで、保存中心の展示・歴史館だと思いました。
1. 五所川原市の立佞武多の館見物 その迫力にどこまで迫れるか!
(1) 全体像 山車と本体あわせて約22mの巨大さ
厳密な意味では全身を写しきれておりませんが、ほぼ立佞武多の全身像
台も含めて全長 約22m、 4階建てのビルと同じ高さ。
立佞武多の足元から1眼レフカメラで撮影して、成功したと思ったんですが・・・
尚、この立佞武多の地上に近い部分に書かれている漢字『雲漢』は中国語で
「天の川」を意味していて、このねぷたは必ずこのように表現する決まりが有る
そうです。
中国から京都に入ってきたねぷたの原型のようなものに雲漢の文字が書かれ
ていたこと。
その姿や祭りなどに取り込まれる習慣などが、あまり変形せずに青森まで伝わ
って来たと理解しましたがどうでしょうか。
のことでした。
その部分-1
立佞武多の部分-1
高所恐怖症が突然襲ってきて、ぶるぶる震えながら、壁側のてすり?に掴まり
ながら必死になってシャッタ-を押した写真の数々の内の1枚
6階建ての立佞武多の館へ入館できてとりあえず仰向けになって足元から
天井に見える立佞武多の全身像を撮影できた時、頃合いを見計らったように
館員の女性案内人がエレベ-タ-に乗ってくださいと進めてくれました。
一気に登る途中で素通しの窓から下を見たら、全身がゾ-と来た。
アット気がついた時がお仕舞いで、完全な高所恐怖症でした。
立佞武多の頭の上あたりからエレベ-タ-を降りたら、前は立佞武多の頭と
空間だけで、下はなんにもなし。
震えました。
家人を見たら、平気で手すりにもたれて横とか下の空間をながめているではな
いですか、これが同じ人間か。
立佞武多の部分-2 お顔
やっぱり後ろ壁にもたれて写したらしい、手すりが写ってますね。
22mある立佞武多の顔と頭のトップ
ぶちあけたお話をしたら、壁伝いにぐるぐる廻りに回廊が有って、次第の高度
を下げながら地面へ降りてくる仕組みになっておりました。
その途中に壁にはめ込まれた立佞武多の部分
この立佞武多の館には、2台の立佞武多の実物が保管収容されていて、今日
その実物を拝見できたわけで、1996年、約90年ぶりに復元出来て、この立
佞武多を五所川原市内へデモる為に、電信柱と電線を取っ払い地下に埋め
てまで努力を傾けた結果1998年から練り歩くお祭りが実現できたそうです。
懸念したとおりこの立佞武多の迫力を私の写真術では再現できませんでした
が、日本の緑は多くても、原色は少ないのにこんな派手な色彩の立佞武多、
この迫力はどこから生まれるのでしょうか。
何回か修正記入しながら考えて見ますと、明治時代に何故ここのねぷたがこ
こまで巨大になったか、その不思議さは掴めませんでしたが、最近まで衰退
していたのは電線などの障害物が広がってきたから。
それも最近の努力で、障害の排除を皆さんがなさったから。良かったですね
今回の旅はあまり好天に恵まれませんでしたが、この日は好天でいい風が
吹いていたのでJR五能線の車窓から勢い良く泳ぐ鯉のぼりが気持ちよく見え
ました。
鯉のぼり(再掲)
五能線の車窓からはお岩木山とリンゴ園の手入れ風景も良く見られました。
2. 津軽藩ねぷた村
場 所 弘前城北門を出て亀甲町を右へ廻って堀端をあるくと行かれます。
北門の事を別名で”亀甲門”とのこと。
施 設 弘前のねぷたは山車の乗せられる大きさのねぷたが特色らしいので、今ひ
とつの特徴である扇型の飾り付けねぷたが数多く展示されておりました。
演 出 雰囲気を盛り上げる為だとおもいますが、津軽三味線の名手(男女2名)が
目の前で実演して下さいました。
(1) 展示場の風景とねぷた
全てが派手な色彩の中で、三味線を奏でるお二人(右横)
動画撮りを試みましたが、聞いていただける状態に出来ませんで、残念。
(2)ねぷたの写真
このように扇型の仕上げが原則らしい、派手ですね。
(3)金魚ねぷた
これはねぷたにあやかって青森で開発したものかと思っておりましたが、こ
れも中国から伝わってきたのが、京都から出てこの地にまで広がったもの
らしい。
この型紙が売店で販売されていて、孫へのいいお土産になりました。
(とえらそうに書いても家人が思いついたまで、私の功績なし ヤレヤレ)
ここ津軽ねぷた村は津軽を丸ごと分ってもらえると自負しての施設らしい。
3. 山車展示館
弘前城の正門大手門につながる道路手前にある弘前市立観光館や旧市立図書館
など観光施設のある一角にこの山車展示館もありました。
ひろさき ガイドブック
と言うガイドブックにも何故か記載されておりませんでしたが、弘前のねぷた全体像を
掴むのには、この山車展示館も観光出来れば良いなと感じました。
布袋さん?
この山車展示館の1番の目玉商品?は大きな、大きな太鼓で、長さが4.5M、直径が
4mもあるとか、
津軽強情張大太鼓と命名されていて、津軽のねぷた祭り大型ねぷたの先頭をこの
大太鼓が進み、その一たたきでど~んと鳴るとお祭りがいっぺんに盛り上がると
言う重要な鍵を握っているとか。
その写真をご覧願えないのが残念です。
推論すれば、津軽藩ねぷた村で見たねぷたの山車とここに保存されている山車と
大太鼓が組み合って津軽のねぷた祭りを構成していると思われます。
あまりにも迫力満点の五所川原の立佞武多を見たり、津軽ねぷた村を見ても、その真
に迫ろうともがいてみましたが、肝心のお祭りその物を見ていないので、押しがたりません。
残念の極みであり、何時の日にかその祭り見物のフルム-ンの旅実現を目指したいと
思いました。