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三田のいのしし 見て歩き日記

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2010年06月10日
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カテゴリ:観光・旅行

5月21日(金) 大阪天満宮へ参詣、狛犬さんを撮影させて頂きました。
          いろいろ面白い事に気がつきまして調べている内に時間が経ちました。
          自分勝手な楽しみ方ですがご覧下さい。
先ずは狛犬さんの写真から・・・
1.  ご本殿に向かって右側の狛犬
   大阪天満宮の狛犬右
   狛犬 日本では圧倒的に多くの狛犬が獅子・狛犬型であり、向かって右側が口をあ
     けた獅子型で、向かって左の狛犬は、口を確り閉じている狛犬型でありますが、この
     天満宮の狛犬は両方ともお口を開けている。
     両方共に獅子であると思われます。 

2.  ご本殿に向かって左側の狛犬
    大阪天満宮の狛犬左

上杉千郷先生の著書にも左右両方共に口を開けている中国の獅子のご紹介が見られますが、その端的な例として中華街のお店の入り口に在る獅子を示唆されております。

この平安中期から存在しているらしい大阪天満宮の境内でご神体などを守護する狛犬に獅子を選んだのか、今の段階では聴取できておりませんがある意味を込めて選んだものと思われます。

3.  設置の年代について
   大阪天満宮の狛犬年月
   弘化二乙己歳 四月 吉(2文字目不明) と刻印されております。

   (1) 弘化二年 西暦1845年 今から255年前に設置されたらしい。
   (2) 乙己歳  歴史年表に出ている資料から言えば(干支順位表から)弘化二
            年は乙巳歳で、まさしく西暦1845年となるようです。
       この狛犬の土台石に刻印されております「乙己歳」との関連は、現時点では不
            勉強で分りません。
            但し、当時の方々は当然このように刻印されると理解されていたことでしょう
       ね。

       ここでこの狛犬のことを離れて、我々は年代について考えたとき、1845年と
            言えば今から255年前であると理解できますが、弘化二年乙己歳と刻印され
            ているものから年代を推定でるのでしょうか。
            西暦による年代の数え方がなかった東洋では、中国で組み立てられた干支、
           十干十二支(60年で一回り)をこの年代を理解する基に据えて明治まで来たも
            のと思われます。

       正確な事は分りませんが、約3000年間この十干十二支による年代が守られ
             ているようですので、江戸時代の方々は弘化二年乙己歳で、例えば徳川幕府
             になってから何年目とかを特定できたのでないかと思います。

       住吉大社の狛犬中一番古い狛犬に土台には、元文元丙辰年六月 吉旦
       とありまして、1736年である事が分りました。
       尚、丙辰は【ひのえたつ】と読むはずです。
       陰陽五行説がからむ表現ですのでこまででやめます。

    (3)乙己歳をどう読むのか。
       年表の上からは1845年は乙巳の歳で、「きのとみ」または「いっし」と説明さ
             れております。
       分らない事が多いので、資料の記述をそのまま載せました。

徳川幕府では第12代将軍家慶公の頃で老中水野忠邦が罷免された頃らしい。
明治元年(1868年)間で23年と言う事も考え合わせますといろいろ落ち着きのない世相も考えられます。
そんな時代に奉納された方々のお気持ちはどのようなものがあったのでしょうか。

この大阪天満宮の狛犬からは、年代の事や和事に消化された獅子狛犬型の狛犬や中国流の獅子を狛犬として受け入れている有様についていろいろ考える所がありました。






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最終更新日  2010年06月10日 11時44分42秒
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