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三田のいのしし 見て歩き日記

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2010年11月19日
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カテゴリ:観光・旅行

どなた様も日々「年末年始欠礼のはがき」を受け取っておられることと思います。

勿論我が家も同じ日々でありますが、今年のある週に集中して100歳を超えるご長寿の

方お3方、それもいずれもご母堂の永眠を伝える内容でありました。

ご連絡くださった方々もほぼ70歳代でありますが、1世紀にわたり長寿を全うされた

ご母堂への御孝養、言葉では言い表せないものがあったことでしょうね。

私の父は昭和58年に87歳で永眠いたしましたが、あの第2次世界大戦の最中なその前

後、百姓一家としてかなり広い田畑を造らざるを得ない境遇で、”酷使に耐える肉体だけ

が生き残れる条件”みたいな時代に生きても、終戦後の生活の変わりようで、そこまで生

きられた・・・そんな私の思いでした。

母も89歳と長寿を全うしての旅立ちでしたが、今の世代では到底理解しがた過酷な生活

の連続と5人の子育て(当時はこの数が普通)でしたが、戦後の食生活などが味方したの

でしょうね、今日につながる意味で90歳近くまで生存できたのだと思っております。

今回相次いで103歳、103歳、100歳とご永眠のお年に接して、何も纏まった感想がある

わけではありませんが、明治、大正、昭和、平成と4代に亘っての生存に思いを馳せると

やはり”よくぞがんばられたなあ”と思いました。

わが両親は父(1895年)、母が1902年で、今103歳で永眠された方は1907年頃の

お生まれであり、わが両親より少し後の方々ですが、大変厳しい時代を共に過ごされた

方々であると思いました。

皆様のご冥福をお祈り申し上げます。






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最終更新日  2010年11月19日 11時09分16秒
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