|
テーマ:生涯学習(293)
カテゴリ:観光・旅行
年月日 平成23年1月12日(水) 13:30 ~ 15:30 講 師 三田市生涯学習課 史料編さん担当 印藤昭一さん テ-マ 資料がかたる三田の近代 場 所 三田市中央公民館 1F ホ-ル
(2)今回、印藤先生から史料と講義で、下記のご説明があった。 (2)-1 高等学校の日本史Bにおいて 開国、幕府の滅亡と新政府の成立からの明治時代の近代日本の あゆみについて・・・この頃が近世と近代との境目とする・・・と紹介 (一) 明治4年 全国統一の戸籍法公布 (二) 明治6年 地租法改正条例公布 ご紹介されましたが、結局、江戸時代の幕藩体制で日本が数 まりが、近代のスタ-トとなったが、三田という有馬郡の町 としては、この(一)(二)の施行を通じて近代がスタ-トした。
(2)-3 今回はあっさりした紹介でありましたが、明治4年に【廃藩置 県】同三田県→同年11月兵庫県へ編入 など、あらゆる場 思われます。 (3) このように近世から近代への変換に関して: 全国統一の戸籍法 廃藩置県 地租法の改正 などを拠り所として考えようという示唆に富んだ講話で"本日 帰宅後、インタ-ネットで三田市を開いてみましたら、三田盆地は旧石器時代から人が住 んでいたらしい。 市内広野地区の25000年前溝口遺跡や弥生時代の有鼻遺跡など随分昔から人が住ん でいたことが理解できましたが、六甲山などの高くて険しい山に囲まれたこの盆地は、 その繁栄について考えたとき、神戸や大阪と同列には語れないところもあろうかとおも いますが、市内に残されていた古文書に基づいて解説して頂けた在り難く感じました。 余談ながら: 江戸時代までは、武士など一部には苗字が許されておりましたが、多くは名前を名 乗るしか許されておりせんでした。 仮に明治4年の全国統一の戸籍法公布が、すべての国民に苗字を名乗ることに関 係してなかったにしても、その後すべての者が苗字を名乗ることができたのもこの 明治年間のことだとおもいます。 歴史書の斜め読みでは、的確な資料を見つけ出すことが出来ませんでした、このす べての国民が苗字が持てる、持てたことも国の近代化の象徴だと思います。 今回、淡々とご説明いただきましたが、実際は明治の初期のこのあたりでも、激し い議論、行動の繰り返しの上に歴史が成り立っているものと思われます。
1 近代とは・・・(三田と言う)地域社会から見た近代のはじまり 2 明治期三田町の案内文を読む 旧近世行政村における年次別文書保存量の推移(グラフなど) 史料2 昭和33年 「市制施行に関する調書」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年01月15日 15時23分25秒
コメント(0) | コメントを書く |