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テーマ:マンホ-ル蓋の写真(17)
カテゴリ:世界のマンホ-ル蓋
四国八十八ヵ所巡礼お遍路さんの祈りがこもるマンホ-ル蓋 北海道・札幌市在住の友人から写真添付にメ-ルがあり、松山市と内子町の マンホ-ル蓋の写真でした。 2月に愛媛県を巡礼した時に出合ったマンホ-ル蓋らしい。 私がマンホ-ル蓋の写真を撮影する趣味があるので、こうして出会ったマンホ-ル蓋 の写真を贈ってくれたものです。 有難いことです。 ☆ 松山市のマンホ-ル蓋 椿の花 早速、得意の?インタ-ネット検索で調べてみました。 昭和46年4月1日、椿の花は松山市の「市の花」に制定されました。 今では、椿の名花展?が開催されているとのこと。 【椿の花】 ブログ【松山ブログ】のお写真です。お借りいたしました。有難うございます。 松山市のマンホ-ル蓋写真を贈ってくれた友人は、小豆島の出身であり、四国の 事はかなり詳しいはずですが。 愛媛県の街道をどんな気持ちであるいたことでしょうね。 奥様もご一緒のはずですが、「同行二人」は弘法大師とご一緒に・・・と考えられ ますが、奥様とも仲良く歩かれて、このマンホ-ル蓋の椿を眺めながら、どんな話 をされたことやら。 南無弘法大師、南無弘法大師。 ☆ 内子町のマンホ-ル蓋 つつじの花 態ですので、この内子町がどんな町かわかりません。 内子座 ここが大変有名な存在のようです。 ☆ 四国巡礼 昔は、一生の内に少なくとも一回は四国88ヵ所の巡礼が決め事みたいな空気 が土佐にもあったように思いますが、 だからと言って、定期的に行われることもありませんでしたし、そこまでの義務感 もありませんでした。 10代の内に郷里を離れ、その後都会生活で半世紀以上過ぎた今日、北海道 の友人のように巡礼を重ねる方々を尊敬しております。 ☆ 余談ながら: お遍路さんの思い出: (1) 我が家は、37番札所の「岩本寺」(高知県高岡郡四万十町 町役場の 直ぐ傍にあります)が菩提寺でした。 (2) 高知方面から足摺岬へ抜ける国道からはちょっと離れたところに我が家 がありしたが、時々「お遍路さん」が来訪されました。 (3) お経をあげてくださるので、「お米を一握り」差し上げることが目安と記憶 しております。 昔の農家では、米一俵(4斗 60kg?)を1度に精米して桶などに保管 しておきます。 その鍵でもってあけてコメを一握り掴み出した,そんな感触が今でも残って おります。 親は農作業で多忙を極めるので、子供がこのようにしてお遍路さんにお布 施?を差し上げても、何ら問題にはならなかったように思います。 (4) また、お隣の集落との境などには、「お堂」が多く見らました。ここにお遍路 さんが宿をされることもあった ようにおもいますが、お堂の前を通過する際、やや心細い思いをしながら足 早に通過したことでした。 (5) 結構沢山のお遍路さんが通りかかるので、お遍路さんとおこもさんの区別 がつきにくい、そんな噂話も あったように思います。 (6) 今はきっと国道をまっしぐらに通過していくたびで、横道にそれる{自活型} のお遍路さんはみられないと想像しているところです。
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最終更新日
2011年03月16日 14時35分27秒
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