4007150 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

三田のいのしし 見て歩き日記

三田のいのしし 見て歩き日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

さんだのいのしし

さんだのいのしし

カテゴリ

コメント新着

ななちゃん@ Re:名前の分からない黄色い5弁の花について(05/23) コナスビではないでしょうか
ななちゃん@ Re:名前の分からない黄色い5弁の花について(05/23) コナスビではないでしょうか
青木 考@ Re:睡蓮の花とネナシカズラの話です。(09/14) ブログ主様、 (ニホン)ネナシカズラが生え…
く~ちゃん@ 心配してました 長らく更新されなかったので、心配してま…

フリーページ

お気に入りブログ

乾燥防止と保温(?… New! グランパ3255さん

「しろうと自然科学… しろうと自然科学者さん

山野草 則利写真館 のりちゃん4752さん
猫のひたい nemuricoさん
路上観察 タマ君1144さん

カレンダー

ニューストピックス

2011年03月30日
XML
カテゴリ:季節の話題

JR新神戸駅と孫姫のお出迎え

 新神戸駅JR新神戸駅
3月28日(月) いいお天気でした。

3月28日(月)朝 10時1分にJR新神戸駅に着く新幹線で姫路から孫娘が来るの

で、神姫バスを乗り継いで神戸ヘやってきました。

新神戸駅でバスを降りて駅の広場から神戸の街を見て、(孫娘と会える楽しみは勿

論ですが)、いささか複雑な心境で出迎えまでの時間を過ごしました。

今、東日本大地震で国中が大変な時期ですが、1995年1月の阪神淡路大地震で

このJR新三田駅界隈は勿論神戸の街の惨状は言葉にならない有様でした。

☆ 私にとっては、毎週末三田市から神戸電鉄-地下鉄で神戸市に着いたのが

   このJR新神戸駅でした。

☆ このJR新神戸駅は地震による災害で勿論停止中でしたが、かなりな高台にあ 

   るこの駅横から 歩いて少し下り、やがて左折して御影町や芦屋市へ歩いて

   行く起点だったんです。

   今はこんな風景です。

    新神戸の街海に向かって左側の街

    新神戸の街-2海に向かって右側の街

   今、車が激しく行きかう道路を歩いて下る所にある土手の風景や、御影に向かう

  道路の両サイドに "今この穴から人を助けたんです"そんな感じの丸い穴が開

  いたつぶれた家屋、家屋。救急車、消防車、水に濡れたホ-ス。

  これからも忘れることはできないでしょうね。

  それがこんなビルの街になって聳えているんです。

☆ 新神戸駅の花

  こちらが学校が春休みになって、親子連れ、祖父母と孫連れなど賑やかな人の

  群れを見るにつけ新神戸駅が"春めいて"おりました。

   花のコラ-ジュ花のコラ-ジュ

   1階の軒下ではこれらの花が等間隔で満開でした。

  ロビ-では、春休みを楽しむ家族が忙しく移動しており、春休みを実感しました。

☆ 孫娘のちょっぴり冒険の旅

  姫路発09:44 新幹線で新神戸まで17分ですが、一人で乗り物に乗るのは

  初めての体験でした。 10歳

  やはり緊張したみたいでした。

  小さなお子さん方が一人旅を体験していた新幹線。

   新幹線新神戸駅に入ってきた新幹線 

  私の孫の一人旅の他にも、姫路から名古屋まで小さな男の子が二人乗っていた

  と孫の話。 新幹線の中で緊張しているから注目していたんでしょうね。

   やはり子供だけの旅行だとの事でした(姫路で孫を載せた私の娘が見た話)

  事情は分かりませんが、長い旅で幼い子供たちと両親達はドキドキの数時間

  を過ごしたと思います。でも、きっと後々いい思い出になることでしょう。

  6号車の車両前に立った私を見て、孫娘がにっこり笑ったので、やっぱり緊張し

  ていたんだ。

  そう感じました。

  これから1週間、三田でじじばばと一緒の生活ですが、インフルエンザでの集団

  休校などで我が家が1週間単位で預かった体験は本人も十分経験済みですが、

  一人旅、しかも新幹線。

  きっと何かが残る。そんな感じがします。

☆ 帰りのバスの中で幼い日の私の一人旅の体験を話しました。

  小学校の1年生でした。

  小学校から1kmあるか無いかの所に母の里がありました。

   その日、母の里の集落のお祭りで両親などが招かれており、私に

    "勉強が終わったらお出で"

    "近いから迎えにはいかないよ"
  
  そんな感じでした。生まれて初めての訪問でしたが、まるで旅でした。

  小学校の校門を出て歩いてみると、県道の先が緩く右回りで曲がっており

  母の里が見えませんでした。

   心細い。

  昭和17年の事で途中で1人も出遭いませんでした。

  とぼとぼ歩いて、四万十川の支流である小川に架かる橋を渡り、やっと着きま

  した。

   母は10人兄弟の下から2番目、この里の家の主は母の兄と言うより御爺さんの

  感じでしたが:

  "おお、ようきた、よう来た。えらいえらい"と抱きしめてくれた。

  小川の上の家での出来事を、今この年(75歳)になってもはっきり覚えておりま 

  す。

  そこで、ついに感極まってわあわあ泣いたことでした。

  本当にささやかなことでしたが、いつのまにか私の心の中では何かが残っていた

  んですね。

  それから数十年たって、私の子供たちが中学生の頃、関西から高知県の四万

  十町までそれぞれ一人旅をさせました。

  ものすごく心細い時間を過ごしたことでしょうね。

  そのことについて、"どうだった"なんて聞いたことは1度もありませんが、

  なにか心に残っていることでしょうね。

☆ この春休みに子供たちがいい経験が出来ることを願っております。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011年03月30日 17時05分57秒
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X