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カテゴリ:世界のマンホ-ル蓋
昨日4月4日、箕面市半町(はんじょうと呼称されております)にあります箕面市立箕面聖 苑へ出かけました。 三田市からみると低地で、その上気温が上がったらしくて、恐ろしく熱い日でした。 小高い丘の麓に箕面霊園があってその付け根にある施設ですが、 そこに通じる道路のほどにあるマンホ-ル蓋に自然に目が行きました。 ☆鋳物のままのマンホ-ル蓋 マンホ-ルに久しぶりのご対面だなの感じで写真撮影。 眩しい光で路面が見えにくくて心配でしたが、OKでした。 ☆しばらく歩いているうちに出合ったカラ-のマンホ-ル蓋 【カラ-のマンホ-ル蓋】 滝と紅葉、箕面のシンボルですからね。 偶然のことながらこの"箕面聖苑"もその一部だと思いますが、箕面霊園が坂の中 腹にあって、妻の両親もここに眠っているので詣でて帰りました。 その坂の歩道はずっとカラ-のマンホ-ル蓋でしたから、念のため撮影を続けまし た。 何時ものことながら、マンホ-ル蓋は全て彩色してほしいと感じて撮影した事でした。 ☆箕面市 人 口 ? 人 市の花 「ササユリ」 箕面市の木 以上の二つは箕面市のHPからお借りいたしました。有難うございます。 祠のお話 出会ったコンクリ-ト製祠 神社・仏閣建築で、【流造 ながれづくりと読む】と呼称されているらしい祠が 阪急電車の線路沿いにありました。 流造のコンクリ-ト製の祠 祠に出合っていまだその全貌を云々できる段階ではありません。 しかしながら、現在三田市内の神社建築物を通じて神社建築について学んで みよう。楽しみたい。 屋根が直線的な神明造にたいして、屋根に反りがあること。 その屋根の片方が長い。 その長い屋根の下に、向拝などを設ける・・・そんな形式のようですが、 このコンク リ-ト製の祠は、大まかな意味でその形式を具備しているように 思いました。 (1) 出会ってみて、祠の形式の多いのに毎度驚かされます。 (2) この地区で、同じ形式の祠を二つほど見受けましたから、きっとこの地域に 古来からの 歴史的な意味合いがあるものと思っております。 旧西国街道は、この線路から見てちょっと山沿いにありますが、国道171号線はそ の西国街道の名残りだと思います。 尚、西国街道は江戸時代、西国の大名が行列を組んで「下に~、下に~」 と警蹕 の声をからして通過した歴史がある所です。 少なくとも昭和40年代はそんな雰囲気が残っておりました。 そんな歴史に富んだ町々ですから、きっと話題が豊富なことでしょうね。
線路沿い、コンクリ-ト製祠の傍、満開でした。
4日(月)朝突然の電話で、ある告別式のご連絡を頂き、とるもとりあえずでかけまし たが、出かけた先が箕面市であり、御悔やみを申し上げることの後は帰るのみと思 っていたしだいですが、 犬も歩けば棒にあたる で、カラ-のマンホ-ル蓋に出会い、【流造】と思われる祠に遭遇して、大げさに言 えば人生を感じました。 三田市は桜はあまり咲いていないと思いますが、箕面市では陽当りの良いところで は散り加減ですからね 故人は92歳の由、ご冥福を祈りながら帰途につきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月05日 16時35分13秒
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