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テーマ:生涯学習(293)
カテゴリ:観光・旅行
今年2月初旬、ある神社の狛犬の写真を撮影に行った際、ふと拝殿の軒先を見た ら2本の柱の両方に象らしい動物の彫刻がありました。 人間って何がきっかけになるか、不思議な気も致しますが、その事から神社のあら ゆることに興味が湧いてきました。
神社】の掲示板でした。 「掲示板」
いずれにしてもこの掲示板は、たった12行ながら神社の構造を知るうえで 大変纏まった情報だと今では確信しております。
この掲示板を念頭に置きながら、神社巡ると撮影、また、建築の専門家の著書を購 入して読みました。 (2) 太田博太郎監修 【図解 古建築入門】 勿論、ネット検索などもトライ。
ました。 今回はその第1回目です。 【三田の神社建築を知る】
(1)仏教伝来までの建築方法 神明造・・・伊勢神宮に代表されるそうです。 神明造のモデル 屋根が直線 平入り 特に伊勢神宮と全く同じものは作らないきまりになっている そうです。 出雲大社、住吉大社なども神明造ですが、伊勢神宮とは どこか違いがあるとおもわれます。 神明造の特色は、屋根にそりがなく切妻構造になっている。 従って、これまでの情報から、三田市内の神社には神明造は無いかも しれません。
(2)仏教伝来後、寺院の建築様式に影響を受けたそうです。 ◆ その最も大きな特徴は、屋根に反りが付けられるようになったこと です。
る。 優美な反りが見事です。 掲示板記載の「・・・社殿のつくりは1間社春日造桧皮葺の やしろである」 本殿の柱が2本であり切妻妻入りの屋根が反り返っている 様は、まさに春日造そのものであります。
その下に向拝が設けられます。 屋根は反り返っております。 箕面の祠 屋根の片方が長いので、その下にお供え物置き場など設 置できるので、祠としてもこの「流造」が多いかもしれません。 覆屋で覆われた神社 〇 三田市内の例 覆屋の中に神社がありました。
元来木造建築だから長年の保存が難しい。式年遷宮などで 建て替えをすれば別であるがそのまま保存するとなると、 この「宇治上神社」の如く覆屋で保存するのが良いことが 分かった。 指定されている (宮元健次先生監修の「日本の建築」より。
妻とは端(はし、つま)の事だそうです。 日本の神社建築でしばしばこの述語が平入りとともに出て きます。 (4)冒頭でご紹介しましたように、まず大昔は、神明造にみられる如く地面 に直接柱を立てて、屋根の線も直線であったと推測できますが、伊勢神 宮の地位が確立後、次第にこの形式を遠慮したこと、また仏教伝来で 屋根の形に反りをしめせるようになった。 (宮元先生監修資料など) このことから、普通の神社は、大多数が「神明造」「流造」或いは日吉造 (ひえづくり)、八幡造と呼ばれる建て方となったらしい。 おおよそ以上の事柄から、三田市内の神社は、仏教伝来後の建て方の 建屋だと考えて間違いなさそうです。
(5)屋根材:檜皮葺が基本で,萱やこけらいたなど。 瓦ぶきは当初寺院建築のみに限られ、寺院建築を【瓦屋根】 と呼んだそうです。 それが神仏習合から変化してきたらしい。 (二)神社参拝の際、拝殿のみならず本殿にも目を向けましょう。
すぐれているので 参詣後すぐに帰る傾向があります。 (2)実は、本殿はこの三田市の神社群でも実に立派な技術が重ねられて いるので、時間の許す限り 本殿の周囲を巡り、参拝と鑑賞をお勧めし ます。 (3)春日造の切妻妻入りの屋根の先端の優美な反りや流造の長く伸びた 軒先の反りなどほとほと 感心します。 全てではないでしょうが、多くの神社は主たる神様の他、多くの祠や神社 が境内にあります。 参拝経路をはっきりと例示している神社もあります。 例 三輪神社
今回は、神社本殿について知りうる情報をまとめてみました。 三田の神社は、日光東照宮など大々的に発展した大きな神社と異なり、小さな神社 が多いので、大変質素でしょうが、その組み立ての技術は、十分基本を踏まえたも のであるそうです。 どうぞ神社参拝の際は、本殿巡りをして頂き、神社本殿や祠などもその姿にご注目 ください。
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最終更新日
2011年05月22日 11時01分24秒
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