五大力菩薩像と檜の板絵にまつわる話
様々な法具を持って憤怒の姿勢を強調しているかに見える菩薩。
1. 掲示板【五大力菩薩ご縁起及び要記】の作成日の干支表記について
☆ 維時平成二十一己丑年春大祭日 白龍山五大力講元 謹誌 とあります。
この干支について注目してみたい。
1)2012年は壬辰(みずのえたつ、ジンシン)ですが、あまり気にされない
方が多いはずです。
2)平成21年(2009)は干支で言えば何に当たるか。
平成21は己丑(つちのとうし、キチュウ)年でした。
☆ 西暦の年代と干支の年代の換算について。
2009÷60=33.483・・・ 小数点以下はこの際無視して。
33×60 =1980 干支は60年で1回転する。
2009-1980=29 この29に注目する。
干支順位表という換算表があり、その中の29番目に該当する→己丑(つ
ちのとうし、キチュウ)
干支順位表をみますと、西暦の紀元で言えば、
西暦1年 辛酉(かのととり)であり、
2年 壬戌(みずのえいぬ)
3年 癸亥(みずのとい)
4年 甲子(きのえね)
※ この西暦4年から32回転目の1924年が甲子に当たり、甲子園球場
が命名された由縁でもある。干支はこんな形で生きております。
☆ この講元と明記された世話役さん達がこの五大力菩薩像建立当時から代々
維持努力されるに当たって、
西暦年数という共通の年代のない時代にあって、年号(例 寛政6年
(1794))と干支を併記し続けることでこの五大力菩薩像の創建以来の年
数などを理解できたのではないか。
☆ 五大力大菩薩像の建立年代は、真言宗を開創された弘法大師空海が高野
山において初めて五大力菩薩の祭会を行ったのが始めとされておりますの
で、9世紀以来の事と思われます。
ともかく、今日では干支による年代表記がなされない中で、毎年年号による年数
と干支を記録し続けているとすると、珍しくもあり貴重だと思います。
講元の方に巡り合えたらその辺のこともお伺いしたいものです。
2. 仏様は、様々なお名前で表現されます。
☆ 如来(にょらい) 正しく悟りを開いた者 → 例 大日如来、阿弥陀如来
☆ 菩薩(ぼさつ) 悟りを求めて修行する者 → 例 文殊菩薩、虚空蔵菩薩
この世で苦しみ悩んでいる人が一人残らず救われるまで
は如来にならないと誓いその手には、様々なものを持って
努力する。
☆ 明王(みょうおう) 大日如来の使者 通常恐ろしい形相で迫り人々に菩提
心を起こさせる役割
不動明王、降三世明王(ごうさんぜ)軍茶利(ぐんだり明
王、など
☆ 天 (てん) 弁財天、毘沙門天(多聞天)、吉祥天など
真言宗の密教では、大日如来という最高の仏様が、如来、菩薩、明王、天など
の姿を仮りて(かりて)様々な役割をされると説かれているようです。
以上は、著書「うちのお寺は真言宗」(株)双葉社 2002年版からお借りいたし
ました。
3. 五大力菩薩に関して:
菩薩の名称からは、上記の区分の姿が本来の在り方だとおもいますが、五大力
菩薩は、意味合いからは、明王として位置づけられているらしくて、菩薩でありな
がら通常【憤怒】の形相を常とする明王の形をとるようです。
五大力菩薩の真ん中 輪宝を持った菩薩
この菩薩のみハスの花が大きい。何故でしょうか。
お腹の前に輪宝と呼ばれる法具があります。
よく分かるようにトリミングさせてもらいました。菩薩様 すみません
その通りで、法具と言われる武器を片手にして、片手は印を結ぶエネルギ-あ
ふれる姿であります。
左の二人 それぞれ違った法具(元インドの武器)
手に掲げられている法具にご注目ください。
5人とも首飾りや宝冠も素晴らしいですね。
右の菩薩二人
どの菩薩を拝見してもそのデザインが優れていると思いました。
3. 三田へもなぜ五大力菩薩が祀られたか。私の推論
☆ 7世紀末から8世紀初頭にかけて、藤原鎌足の子供が中国留学後この地に
金心寺を建立。
☆ 9世紀前半に弘法大師空海が高野山で国家鎮護庶民安穏の祈願をされた
のが、五大力菩薩の祭りを行ったのが我が国初めての行事である。
☆ 全盛時代の金心寺でも高野山での弘法大師の行動がこの金心寺に願いと
合致するところから、この五大力菩薩の祭祀を受け入れて、年中行事として
それ以来、定着したのではないか。
全国に五大力菩薩像が多いのも、この弘法大師が打ち出した祭祀が人々の
願いに合致した証でしょう。
仏教関係の書物のみならず、様々な書物、文学書などを拝見しても、一部の貴族などを除き、民衆はそのすざましい貧困ぶりに喘ぎ、心の飢えもすざましい物があったそうです。
正確なことは分かりませんが、そんな社会不安の中で、弘法大師の行動が民衆の
心の救いとなり、その印として五大力菩薩祭祀が全国的にひろがったのではないでしょうか。
ネット検索で五大力菩薩像を拝見しても、いずれもすざましい憤怒の形相でありますね。
それが三田の五大力菩薩のように建物の中から飛び出して奮闘されるところに、さらに民衆に訴えるものがありそうです。